いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「世界標準の戦争と平和」 烏賀陽弘道

副題には「初心者のための国際安全保障入門」とある。

 

政治絡みの本、ましてや国際安全保障について

素人にわかりやすく解説してある本に

ワタシは、今まで出会ったことはなかった。

初心者のための。。とは書いてあっても

専門家の使う言葉は、たいてい素人には難しい。

だから、この本も、初めは期待せずに手に取った。

 

ところが、どうだ、、

この本は、本当に初心者のための入門本だった。

安全保障という問題を

素人にもわかりやすく噛み砕いて解説してくれている。

何より、このような硬い問題を取り扱う本の文体が

デスマス調であることに

著者の初心者への優しさを感じずにはいられない。

 

シーパワー、ランドパワー

核兵器の問題。

アメリカやロシアに中国。

北方領土問題、沖縄基地問題尖閣問題等々。。

実は、こういうことだったのかと納得しきりであった。

日露戦争や太平洋戦争などの歴史ともリンクさせての解説は

わかりやすすぎて、思わず感嘆の声を上げた。

 

それにしても、敗戦後の日本の腑抜け状態はまずすぎる。。

それも、この状態でが70年以上も続いてるなんて、、

 

この本は、教科書にすべきであると思う。。

ここには、ワタシたちが知っておかなければいけないことが詰まっている。

それほど素晴らしい内容なのに

Amazonで検索してもこの本はヒットしなかった。。

なんでだ!!

 

読後、息子の部屋から地球儀を拝借した。

今まで何も考えたこともなかった海峡が

大きな意味を持っていることを知った今

地球の見え方がまるで違う。

「半沢直樹1 オレ達バブル入行組」 池井戸潤

 

大ヒットドラマ「半沢直樹」の原作本を

今更だけれど、読んでみた。

ドラマを見ていただけに、本を読めば、映像がよみがえった。

ドラマを見たときは、大げさだなと思っていたが

全然そんなことはなかった。

銀行業界、金にまつわる人間模様

そして、銀行員のいやらしさがこれでもかこれでもかと

随所に描かれていた。

 

今、既存の銀行経営が厳しい状況となっている。

たとえ誇張であろうとも、多かれ少なかれ

この小説の中身は、銀行業界の実態であろう。

企業努力を忘れ、銀行の社会的役割を顧みず

内部の権力争いに終始する銀行員たちの姿からすれば

既存の銀行の没落は、当然のことと思えるし

銀行が社会や人間をゆがめる存在となっていることは確かだ。

 

銀行のシステムの中で繰り広げられる

銀行員の醜い権力争いが

エンターテイメントなること自体が

旧態依然とした銀行の終わりの始まりに思える。

 

 

 

「幻影からの脱出」安冨歩

 

幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて―

幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて―

  • 作者:安冨 歩
  • 発売日: 2012/07/19
  • メディア: 単行本
 

本の副題は「原発危機と東大話法を越えて」である。

 

この世界が「幻影」であるという根拠は

日本においては、「原発」と「東大話法」に集約される。

幻影から脱出するには、原発危機と東大話法を越えていかなければならない。

 

最終章にたどり着いたとき

メインタイトルとサブタイトルに込められた意味が胸に響く。

 

なぜ、東大話法や原発という世界を混乱に陥れるものが

それでも存在するのか。

「世界は発狂している」というベイトソンの言葉によって

丹念に説明が施されている。歴史の一時点において、この世界は発狂し

いまなお発狂し続けている。

発狂とは、本質から目を背けるための欺瞞や隠ぺいであるということだろう。

東大話法は、欺瞞や隠ぺいのための手段であるし

原発や、欺瞞や隠ぺいによって作り出された構造のピラミッドの頂点のようなものだ。

 

欺瞞や隠ぺいをなくすことが、世界の発狂を止めることにつながる。

そしてその手段は、欺瞞や隠ぺいから最も遠い存在である

「こども」によって導かれるべきであるという結論に

著者はたどり着く。

 

最後に、放射能についての解説がある。

原発のすさまじい欺瞞と隠ぺいの現実が静かに語られている。

 

2012年に書かれたこの本が、今読んでも全く古びていないのは

世界の発狂が止まるどころか強化されている表れであろう。

「路上のX」桐野夏生

 

路上のX (朝日文庫)

路上のX (朝日文庫)

 

 先進国でありながら

いや、もうすでに経済的にも先進国でないかもしれないが

ジェンダーギャップの大きい

いまだ男社会のこの日本という国。

 

男社会のなかで、弱者は、女であり、子どもである。

バブル崩壊以降、失われた30年をさまよい続ける

この国の男たちは、さらには、男に刃を向けられた女たちはこぞって

その刃を庇護すべき若年者に向けている。

 

登場人物の真由、リオナ、ミトは

まるで、東京というジャングルを必死に生き延びようとする小動物だ。

彼女たちの前には、彼女たちをワナにかけようとする

大人たちが次々と現れる。

瀕死の重傷を負いながら、それでも彼女たちは

自分たちの生きていくすべを見つけようとする。

 

桐野夏生の描く世界に入るときは

いつも心の準備がいる。

桐野が描く女性を通して、自分の女性性が傷つく覚悟が必要だ。

本を開くとき、ワタシはいつも自分に問う。

この世界と対峙する覚悟はできたかと。

 

桐野の描き出した世界の中は

心の中をいやというほどえぐる。

本来なら、目にしたくないものを

目をこじ開けてみなければならない。

そこには、何をも隠すことのないグロテスクな世界が広がっている。

しかしそこには、悪意と善意、絶望と希望、醜さと美しさ

暗闇と光が同時に存在している。

 

読み終えて、そうか、、とわかった。

桐野夏生の本を読みたいと思うときは

現実世界で映し出される物ごとの薄っぺらさに

辟易している時なのだ。

 

 

 

 

 

「現代の貧困」岩田正美

 

 まえがきを読んで、いきなり頭をガツンと殴られた。

 

『貧困は人々のある生活状態を「あってはならない」と社会が価値判断することで

「発見」されるものであり、その解決を社会に迫っていくものである。』

 

貧困とは、発見するものという考えに接して、震えがきた。

新聞やテレビで取り上げる貧困問題は、貧困を発見したからではない。

貧困という話題を取り上げているだけなのだ。

なぜなら、貧困問題を取り上げても、貧困問題と密接に結びついている

正規雇用問題や学歴社会の問題をリンクさせないからである。

 

私たちは、貧困と学歴や雇用形態の問題が関連していることを薄々、いや濃厚に感じ取っている。それなのに、貧困問題を解決できないでいるのは、目の前の貧困を感じるだけであって、発見する力がないからだ。なぜ、私たちは、発見できずにいるのか。そこには、貧困問題を取り上げるマスコミの報道姿勢が関与しているのではないのか。

 

彼らは、貧困問題を取り上げる傍ら

定職につかない人たちを「フリーター」と言い換え

ひとり親を「シングルマザー」と言い換え

派遣社員を「ハケン」とカタカナにした。

 

マスコミは、漢字で書くべき日本語を

耳触りの良い、英語やカタカナ表記にした。

おまけに、テレビは、シングルマザーやハケン社員を主人公とした

明るく前向きなドラマや物語に仕立てあげた。

私たちは、それらにすっかりそれに騙されてしまったのではないか。

貧困を発見するどころか、歪曲化して伝えたマスコミの罪はあまりに重い。

 

愚策続きの今の日本のコロナ対策を見ても

私たち日本人は、問題の本質と向き合わず

根本的解決ができないでいる。

これは、貧困問題と全く同じ構造ではないだろうか。

 

見て見ぬふりをすることを特技とした人々からなる社会の形が

まさに、今のこの国ではないのだろうか。

「転落の記」 本間龍

 

 

転落の記

転落の記

  • 作者:本間 龍
  • 発売日: 2012/01/20
  • メディア: 単行本
 

 著者の本間さんを知ったのは、youtubeチャンネル「一月万冊」である。

温厚でいかにも人の好さそうな印象とは裏腹に、歯に衣着せぬ言葉で痛烈な批判をする著者。その動画内で、時々、逮捕されたことや、留置場や拘置所の話をする。彼はいったい何をしたのだろう。。

そうして、この本を手に取った。

 

本を読むにつれ、本当にこれが、本間氏のことなの!?と思うような驚くべきことが書き綴られている。転落の一途をたどる出来事の数々に、頭がくらくらした。これは、まるで小説だ。。

 

小さな欲と見栄のために一つの過ちからあっという間に転げ落ちていく。友人や家族など近しい親しい人を巻き込み、冷静な判断力を失っていく著者の心情が克明につづられている。その著者の恐怖がどんどん伝わってきて、こちらまで逃げ出したくなってくる。著者の筆力に圧倒されながら、読み進める。

ところが、転落の一途かと思いきや、冷静な判断力を取り戻した著者が時に現れる。それは、弁護士、警察、裁判所、刑務所などと対峙する場面でだ。これはいったい何なのだろう。

 

彼が判断力を失うのは、世間的には博報堂という華やかな企業の社員という立場、社内ではタフネゴシエーターと称される社員という立場、家庭では妻や子を愛する夫であり父という立場、家庭を離れれば不倫関係を保てる女性がいるという男の立場、そして、自分を信頼してくれる友人に囲まれているという立場、、それらの場面において、彼は冷静な判断能力を欠き、うそにうそを重ねていく。

 

一方、彼が冷静な判断力で行動するのは、弁護士、警察、裁判所など、ふつうは関わることのない人たちに対するときである。

これは、世間的立場を失った状態、言い換えれば、立場の呪縛を逃れられたとき、人は冷静な判断力を取り戻せるということなのだろうか。

 

現在、youtubeで見る本間さんの表情は、明るい。

それは、立場を失った、いや、立場から解放されたからではないか。

 

この本は、転落の記でありながら、希望の書たりうる。

そう強く思った。

そして、この本を手元に置いておきたいと思った。

なぜなら、読み終えたばかりのこの本は、県立図書館で借りたものだからである。

 

早速、ネットで注文しようとしたが、どこにもない。。

中古本が見つかったが、とてもじゃないが買える金額ではないし

買ったところで、この本を書いた本間さんに一円たりとも入らないのはいやである。

 

この本の復刊をぜひお願いします!

 

 

 

 

「フェイクニュースの見分け方」烏賀陽弘道

 

フェイクニュースの見分け方(新潮新書)
 

ネットで誰もが情報を発信できるようになり

情報の選別が難しくなったこの時代に

まさしく、これは、なくてはならない技術だ。

フェイクニュースの見分け方」

著者がこれまで得た知識や経験そのものが、フェイクニュースの見分け方につながる話が非常に興味深く、そして非常に役に立つものだと思った。

 

数十年前、私が子どもの頃、ネットもなく

情報は、新聞やテレビ、雑誌、そして口コミという時代には

新聞とテレビは信頼し、雑誌等はややあやしく

口コミは大いに疑ってかかったものだった。

 

新聞、テレビは、フェイクニュースを見分けると同時に

言葉による欺瞞やごまかしを見破る必要がある。

元朝日新聞記者である著者が、それらマスコミの言葉によるごまかしの見破り方を

具体例をあげて詳しく説明している。この本を現役新聞記者たちが読んだら、どんな気持ちになるのだろう。。

 

この本は、各章の終わりに、フェイクニュースの見分け方のポイントが箇条書きで

すっきりとまとめてあった。

読者に伝えたい、、そんな著者の気持ち、著者の読者への愛が、こういう小さなころから伝わってくる。この本は、いろんな意味で本物だ。