10日ほど前、NHK教育で「胃ろう」についての放送があった。
サブタイトルは「食べなくても生きられる」
この放送を見た後、私はなんともどんよりとした気分で
過ごしてきた。
あー、死ぬためのハードルはさらに高くなっているのだと。
そして、どんよりとした気分は次第に憤りへと変わった。
人間は、「食べるために生きる」わけではないけれど
食べないと死んでしまう。
それは、自明のことである。
それは、自然の摂理である。
子どものあの旺盛な食欲は、生きる力に満ちあふれているからであり
年をとるにつれ、食が細くなるのは、その個体の寿命がプログラムされて
いるからだ、と思う。
このことは、人間が生物である限り、抗うことはできないし、
抗ってはいけないことではないんだろうか。
食べなくても生きられる。
この自然の摂理を無視した医療は
一部の例外を除いては、人間のおごりなんではないだろうか。
生存することが至上の価値であるという
無味乾燥な価値基準が引き起こした不幸なんじゃないだろうか。
生きること=しあわせ
死ぬこと=ふしあわせ
そんな単純な答えは、医療する人、介護する人の思い込みではないんだろうか。
それは、健康強者の傲慢じゃないんだろうか。
食べなくても生きている、、その人は、幸せなのだろうか。
本人がそれを望んでいるのだろうか。
死ぬことは、不幸なんだろうか。
人間誰でも死ぬのに、最後はみんな不幸になるということなのだろうか。
私は、過度の医療は望まない。
食べられなくなったら、生きることは望まない。
それが、私という肉体の自然の死だと思うからだ。
医療がつくりだした死ぬためのハードルを
私はなんとしても飛び越える!!
そう思って、一日を大切に丁寧に生きて行くのだ、、
この考えに辿りつき、ようやく怒りの感情から解放されつつあります。