いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

誕生日と命日

今日は、私の30代最後の誕生日である。
と同時に、実家の愛犬の命日でもある。

16年前、大学4年生の冬。
神経症を患い、就職をあきらめ、実家に戻ることが決まった私は
どんよりとした気持ちで、卒業までの冬を実家で過ごしていた。

そんな私がいる家は、必然的に暗くなりがちで
わたしのどんより感は、迷惑なまでに家族みんなに伝染していた。

そんな落ち込んだ家族がなんとかならないかと、
姉と母は、「犬を飼おう」と思い立った。
その頃、姉の知人のところに、子犬が5匹生まれ、育ててくれる人を
探していたのだ。
早速、譲り受け、その犬は実家へやってきた。

まるで歌舞伎役者のメイクを施したような精悍な顔立ちの
生後1ヶ月のシベリアンハスキー
名前は、「リーグ」と決めた。

それまで、犬を飼ったこともなかったのに、いきなり
シベリアンハスキーを飼うことにした、母と姉。
今思えば、かなり無謀なふたりであったと思う。

体が大きく、顔が凛々しいハスキーだけに
ちょっと怖く感じるけれど、実際に飼ってみると
この犬種が、いかに人間が好きで、人懐っこくて
人間に寄り添うことが上手な犬であるかということを知った。

たくさんの声色を使って、自分の気持ちを表現する。
甘えたいときは、存分に甘え、
機嫌が悪いときには、こちらが一緒に遊ぼうとしても
迷惑そうに知らん顔したり、
家族になにかあったときは、自分の欲求は押さえて
じっと静かにして、みんなの様子をうかがう。

そんなリーグが、家族みんな大好きだった。
家族のさまざまな出来事を、リーグは、何を考えて
見つめていたんだろう。

姉が結婚し、私が結婚し、弟が家を出て、
家族がひとり、ひとり、と巣立って行くのをじっと見守っていた。

そして4年前の今日、父と母の腕に抱かれながら、旅立って行った。

私の誕生日とリーグの命日。

この日、365分の1×365分の1の確率の偶然が
家族とリーグが出会った運命の必然性を感じた。

あれから、私の誕生日は、リーグを偲ぶ日である。