いのしし日記

ワタシノトリトメナイハナシ

教習所育ち

ちょっと、ちょっとおーー、
頭をペコンと下げるとかあーーー、
右手を少し上げるとかあーーー
なんか、ないワケーーー!!!
それって、狭い道で車どうしがすれ違うとき
譲られる側のマナーじゃないのよおーー。

と、時々、いや、よく、運転するたびに思う。
特にそう思うようになったのは、この街に引っ越してきてから。

すれ違っても、譲られても、前をむいたままハンドルを握り
微動だにしない、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃん
ついでに、お兄さん、お姉さん。
この街のひとは、まあ、こんな性質の人なのかしら、、、
と義憤していた私に、、

主人がひとこと、
「ここは、教習所だからなあ。。。」

そうなのです。この街には自動車学校というものがありません。
この街には県下唯一の運転免許試験場があるため
ほとんどの人は、教習所に通い、試験場にて免許を取得する。

教習所というところは、自動車免許の取得試験に合格するための
技術を教えるところ。合格させることが第一義。
だから、この街には、最も効率的に免許を取得した人がうじゃうじゃいるのです。

けれど、「車社会」というように、車を運転するのは、当然、技術だけではいけない。
ルールを守り、マナーを守るのが、運転者の義務です。
思いやりの気持ちで運転することで、交通事故が減ることにもつながるでしょう。

交通マナー、運転マナーを教えるところは、やはり「学校」なのです。
少々、経済的にはお高くつくけれども、運転の技術、合格の技術だけではない
目に見えぬもの、ドライバーの「心得」を教えてくれる、大切な場所なのです。
だから、だから、最初の自動車免許取得のためには、「効率」を優先すべきではありません!!!

ところで、自動車学校に限らず、「学校」というところは
本来、技術面だけでなく精神面を育ててくれる大切な場所。
今一度、その豊かで、非効率な場所を、再評価すべきです。
偏差値の高い学校に進学させることなどは、その役割の一側面であって
それを学校の目的としてはいけないのです。

わたしたちは、「人間」を育てているのだと
学校は、学校自身は、先生たちは、もっともっと誇りを持つべきだし
それを確信せねばならないのです。
運転するだけなら、「人間」である必要はないのです。
「非効率」で何が悪い!!と開き直るくらいの気概を見せてほしいのです。

そう、合格技術を学ぼうと、塾に頭を下げるような学校など
その役割を見失った、愚かな学校でしかありません。