4才の息子は、最近ようやく自分の名前を
ひらがなで書けるようになった。
家族4人がそろった夕方のリビングで
息子は、自分で名前を書いた紙を大きく掲げて
それを読み上げていた。
その息子に向かって
「じゃあ、ママの名前は何?」と尋ねてみた。
「◯◯さんだよ!!」
「じゃあ、パパの名前は?」
「・・・」
うっそー、こいつ。。
父の名前をまだ覚えていないのか!!
夫の名前は、鎌倉時代の武士のような音の響きで
ちょっと覚えにくい。かつ、夫を名前で呼ぶ人は
家族の中にはいない。
まあ、息子が忘れてしまうのも当然かもしれない。
だって、その音を聞くことがないんだもの。
とはいえ、実の息子に名前を覚えられていない夫の
ショックは大きかった。
うなだれる父の横をこそこそと通り抜け
私のそばにきた息子は
夫に聞こえぬようにと、小声で
「何?何?」と私に尋ねる。
名前を教えてあげると、父に向かって
「◯◯だよ。」とこともなげに言って退けた。
そして次に彼から出てきた言葉は
「じゃあ、パパはお姉ちゃんの名前を知ってるのか?」
家族全員大笑いしたのは言うまでもない。
一連の彼の行動が示すもの、それは
自分が父の名前を忘れているということに対して
彼は、父以上に大いなる衝撃を受け、それが相手に対し
どれだけ失礼なことかということを認識していた。
忘れていたことを必死に隠そうとしたのは
相手への思いやりと自分への信頼を保つためであった。
オムツが外れる、お箸が持てる、自転車に乗れる
字が書ける、、できなかったことができるようになることで
成長を感じることは、もちろんうれしい。
しかし、それ以上に、内面の成長を垣間見られる場面に巡り
合えることほど、楽しく、うれしいことはない。