若い頃は、即断即決だった。
これでいいのだと、ひらめきのような
感覚で物事を決めていた。
年を重ねるにつれ、決める速度が鈍化した。
そして、周りの人に尋ねることが多くなった。
「どうしたらいい?」
「どう思う?」
経験は増えたはずなのに、答えに迷う。
ひとに相談することなどなかったのに。
答えはいつも自分の中にあったはずなのに。
正解は、ひとつしかないと思っていたのに。
正解を導きだせば、あとは突っ走るだけだったのに。
それは、正しい答えなんてモノがないことに気がついたからだ。
正しい答えを導きだすことを至上とする教育システムにより
解を求めること、そのことを目的化した
思考法がしみついた。
この世に正解などないと気づくことは
新たな思考法を生み出す必要性を自らに課した。
根拠のない確信を得ることの
難しさをひしひしと感じる。
外に解を求めるのではなく
内に解を求める。
評価の基準を常に自身の中に持つことでしか
それを得ることはできない。
未来に向かって、常に正しい答えは存在しない。
だから、決めることを恐れない。
間違うことを恐れない。
解を求めることが目的ではないのだから。