息子の幼稚園の若い保護者の中に
どうしても、話すことをためらってしまう相手がいる。
居心地の悪さを打開しようと
話しかけたりしたこともあったが
お互いの微妙な空気感は、その距離を埋めることはない。
今は、ただ挨拶を交わすだけだ。
何がこうもためらわせるんだろう。
彼女たちに何を感じているんだろうか。
あの人は、あんな感じ。
この人は、こんな感じ。
と、頭に思い浮かべてたら
彼女たちの共通点に気がついた。
みんな、それなりにきれいでかわいくて
社交的で、自分の意志をはっきり伝えることができる人。
表に出ることを厭わず
気配りができる雰囲気を漂わせている。
やさしそうなご主人と
かわいい子どもに囲まれ
なおかつ仕事を持ち
よき妻、よき母、よき社会人である。
彼女たちに嫉妬しているんだろうか?
ただ羨ましいだけなのだろうか?
いや、それとは、どうも違う。
では、なんなの?
この嫌悪感は。。。
あっ、そうだ。
目だ。彼女たちの目だ。
彼女たちに感じる嫌悪感のもとは
攻撃的な目だ。
よき妻、よき母、よき女性を目指し
努力する彼女たちは、自然体でないのだ。
どこか演じている感を拭えない。
そして、その演技がばれてしまうことを
ことさら恐れている。
優しい微笑みの中の
クールなまでの瞳が
それを物語る。
演じる自分を透かし見られないようにと
相手を見張っている目なのだ。
そう思うと、嫌悪感が和らいだ。
期待を背負い、理想を追い求め
こうあらねばと見えない社会常識に
がんじがらめになっている彼女たちの苦悩を思うとき
嫌悪感は、同情に変わる。
なぜなら、私も演じるひとだったから。