先週、息子はインフルエンザに。
現在、彼は、園を出席停止中である。
先週の木曜日の朝、突如39度台の高熱。
しかし、翌日、熱は、嘘のように、さっと引き
機嫌もよく、食欲もあった。
主治医の先生も、インフルエンザでは
ないだろうと言いながら
念のためと、インフルの検査。
すると、でたあーー。
陽性。
インフルAだった。
予防接種のおかげか、幸いにも症状は軽く済んだけれど
お休みは、きっちり取らなければならない。
かつ、外出は控え、静かに過ごさなければならない。
元気がありあまる息子にとって
この状態は、まるで自宅軟禁状態だ。
咳以外の自覚症状がない6才男児が
家の中でおとなしく過ごせるわけがない。
お絵描き、塗り絵、絵本、パズル。。
どれもこれもすぐに飽きる。
暇で退屈になった彼は、すぐにこう言う。
「ねえ、ビデオ見ていい??」
昨日も同じようにビデオを見たがる彼に
何のビデオを見るのか尋ねた。すると
「温泉に行って、迷子になるお話のビデオさ!」
??????
はあー?いったい、なんのビデオのことだろう?
家族で温泉に行ったときのビデオだろうかと
思っていると
「ほら、この前お姉ちゃんがビデオに撮ってくれたやつだよ。」
あーー、「千と千尋の神隠し」ね。
先日、テレビ放送された映画を、娘が録画していた。
そう言えば、週末に二人で見ていたような。。。
なるほどねえ、「温泉で迷子になるお話」かあ。。
先入観も何もない、まっさらの彼の中に
あのアニメはそのように取り込まれた。
大人になるにつれ、映画や本などの作品を
予備知識も何もないまま触れるということが
なくなってきたように思う。
映画の予告編やあらすじ、評論家の批評。
新刊本の帯に書かれたセールス文句や、書評。
作品に触れる以前に、そういったものに
最初に接する。
そうして、知らないうちに
感じること、考えることの枠を作り上げてから
作品そのものと向き合うことになってしまっている。
作品が表現しているもの、意図しているものを
あらかじめ誰かから聞く。
誰かが作ったその枠の中から見ることに
何の抵抗も感じなくなってしまったんだろうか。。
私が感じること、考えることと言えば
自分好みだとか
はたまた、映像がきれいとか
表現が凝ってるとか
批評家まがいの判断ばかりのように思う。
いつの間にかそれを、自分なりの感じ方などと
すっかり勘違いしている。
感じ方、捉え方に正しいも間違いもない。
「温泉に行って、迷子になるお話」
迷いもなくそう言った息子に
私は、がつんとやられてしまった。
「あらかじめ」とか「とりあえず」とか
「予備知識」とか「先入観」とか。
ただそんなものばかり増やしてきただけの
ような気がする。
自分本来の感じ方、捉え方って
本当はどんなものだったんだろう。。
できうることなら、頭の中の余計なものを
きれいさっぱり捨て去って
息子と一緒に、「千と千尋の神隠し」を
もう一度見てみたい。。