いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

村九分九厘

村八分」には、いやなイメージしかなかった。
仲間はずれ、無視、孤立。
一対集団の構図は、陰湿ないじめを想像させる。
だけど、なぜそれが、「村八分」というのか
なんて考えたこともなかったし
その言葉の構造を「村」+「八分」に分けて
考えたこともなかった。

朝日新聞の「折々のことば」を毎日楽しみに
読んでいるのだけれど
昨日は、それが「村八分」だった。
村とは共同体、そして八分は二分を差し引いた
残りだということ。
そして、差し引かれた残りの二分とは
消火と埋葬だということ。
この二分に対しては制裁から除いたのだと
書かれていた。

だから「村八分」なんだ!!
なんと明快な解説。
胸にストンと落ちた。
村八分」の意味に
共同体存続のための
実際的手法があることを知って
自分の無知と思い込みを
思い知った昨日の朝だった。

そして、考えた。
じゃあ、今ってどうなんだろう。
核家族化が進み
ひとり世帯が増え
共同体意識が薄れ
自己責任が問われるから
どうしても自分のことで手一杯になりがちだし
世界に目を向ければ
共同体の存続目的というよりも
思想信条の違いで
互いに対立し、憎しみを生み出し
果ては殺し合いさえしている。

村八分」なんてもんじゃない。
今は、「村九分九厘」かもしれない。
残りわずかの一厘、つながりを支えているものは
本物の善意のような気がする。