いのしし日記

ワタシノトリトメナイハナシ

道具への敬意

言葉は道具だ。
人間だけがもつ優れた道具だ。
言葉という道具がなければ、なんて想像すらできっこない。

けれど、言葉は道具だというのに
手で触ることも
ほおずりすることも
ピカピカに磨くこともできない。

だからだろうか
それをいいことに
最近、道具としての扱い方が目に余る。
国会答弁など、まさしくそう。
政治家と官僚の言葉という道具の使い方は
このところそのヘンさに拍車が
ますますかかってきている。
国会中継なんてもう、目を背けたく、
いや、耳を塞ぎたくなるばかりだ。

ましてや、この傾向が最近は急速に
一般人にも広がり始めた。
企業や大学の経営者、地方議員たちの
記者会見をみると
これは、国会答弁か!っとつっこみたくなる。

これらの人たちに共通することは
言葉への敬意のなさだろう。

道具は、その道具の存在価値を十分に理解し
道具に対する愛情と
道具という存在への感謝が必要で
身勝手な理屈で使い道を過てば
道具からしっぺ返しをくらうだろう。

鍋には、鍋の
やかんには、やかんの
包丁には、包丁の役割がある。

言葉への敬意をなくし
ただの道具として
都合のよい使い方をする人は

鍋で顔を洗ったり
やかんで魚を煮たり
包丁で髪を切っているようなものだ。

ただただ、不快で、みっともない。