いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

家計簿

昨日、家計簿をつけていたとき
突如、私の頭のなかの霧が晴れた。

あ〜、そうか。
公会計とは、壮大な隠蔽システムなのだ!!

子どもの頃、そろばんを習っていたからか
家が貧乏で、お金って大事っと心底思っていたからか
私は、小さい頃から、お金の計算が異様に好きだった。
そのうち自然と、将来はお金の計算をする仕事につきたいと思うようになった。

大学では、会計学を専攻した。
会計事務所に就職して、一生お金の計算ができたら幸せっ!!と思っていたが
どっこい、人生はそううまくいかなかった。
就職する頃には、バブルは崩壊し
卒業する時、私は就職浪人となった。
2年後、ようやく就職したのは地方公務員。
仕事は地方自治体の出先機関での会計だった。
とりあえず、お金の計算をするという意味では
私の希望は叶ったことになる。

だが、仕事を始めてすぐ、私は違和感を感じる。
何なのこれ?
これが会計なの?
他の誰もが当然のようにこなす仕事を
私はこなすことができなかった。
浮かんだ疑問が消えることはなく
時に上司にしかられ
時に始末書を書かされた。

17年後、私はとうとう仕事を辞めた。
誰もが普通にしている仕事を私はどうしても普通にできなかった。
私は、会計に不向きだったのだろうか
そんな敗北感に近いものがあった。

仕事をやめてからも、やっぱり私は家計簿つけている。
そして、家計簿をつけるのが好きで
お金の計算をしていると楽しいという嗜好は変わらない。

なんで、仕事になじめなかったのか。
それをずっと言葉にすることができなかった。
そして、そう、昨日ようやく気がついたのだ。
あ〜、あれは、隠蔽のための仕事だったのだと。

公会計の主な仕事は、隠蔽のための書類づくり。
そう断言できるのは、公会計の基本が収入と支出が一致だから。
普通に考えて、そんなのおかしいでしょ。
お金が入ってきた分、全て出ていくなんて。
それも1円単位でぴったり合うなんて。
公会計の事務は、このための書類作りに多くの時間を割く。
だから、私がしたかったお金の計算は、どこにもなかったのだ。
そこにあるのは、お金を使ったというアリバイづくりでしかなかったのだ。

あり得ないことをあり得ることにするためには
何かをゆがめ、何かを隠すしかない。
法律や条例や規則に抵触してさえいなければ
いや、法律や条例や規則に合致させることこそが
公会計の実態である。
いわゆる監査や検査は、公会計における隠蔽が
外部にばれないようにきちんと隠蔽されているかという
確認のためとしか考えられない。

会計とは何なのだろう。
それはお金の流れである。
お金の流れを記録することこそが会計なのである。
ところが公会計は会計書類作成のためにお金を流すのである。

だけど、この公会計システムは法律違反ではなく
むしろ厳格に法遵守されているという建前の上に成立している。

頭の悪い私は、この本末転倒システムに
自分を合わせることがとうとうできなかったのだ。
このシステムのなかで働くためには
自分自身の何かにふたをすること
自分自身の何かを隠蔽する必要があった。

私は結局それができなかった。
そして今日もまた、家計簿を楽しくつけている。
だってそこには隠蔽はないから。
正直なお金の流れだけがあるから。