いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

自分と向き合う

ふと、私は今、人生で最も鏡を覗き込んでいるかもしれないと思った。

顔にできた、しみにしわ、肌のくすみ。。
頭には白い髪。。
年齢には抗えないんだから
顔や髪の変化は受け入れるしかないよねっと
どこか開き直ってきたが(ただのめんどくさがりとも言うが、、)
ここ最近の、顔や髪の衰えに
これはさすがにまずいと思い始めた。

というわけで、しみしわ対策に乗り出した私は
念入りに自分の顔にいろんなものをのせてゆくために
毎朝、毎晩、鏡を覗き込んでいるというわけである。

鏡を覗き込んで、今さら思う。
自分って、こういう顔をしてるんだなあ。
こういう表情をするんだなあ。。

人生で一番鏡を覗き込むのは、小学校高学年から20歳前後の思春期の時期だろうか。
美容に興味を持ち、自分の変化に興味を持つあの時期。
鏡の前で過ごす時間が増えて行く。

その思春期を私は鏡をほとんど見なかった。
貴重な時間を美容に費やすなんてもったいないと
本気で思っていた。
その時間は、勉強や読書をして、自分を高めなければならないと
本気で思っていた。
勉強や読書をすることが自分と向き合うことだと思っていた。

そうして、私は
自分がどういう顔をしているのか
自分がどういう表情をするのか
よくわからないまま大人になった。

大学生になった頃から
時々自分が根無し草みたいだと思うようになった。
それは、自分を形作っているものが、ふわふわとした思想的なものばかりで
この世に確固として存在する物理的なものとか
自分自身の経験や体験が圧倒的に足りないからではないからだと思う。

中学生、高校生が、勉強そっちのけで
必死で鏡を覗き込むのは
自分の存在と向き合う本能が働いているからかもしれない。
だとすれば、これは、無駄な時間でも何でもなく
生きていくうえでのとっても大切な時間なのだ。

突如、私は、猛烈な後悔の念に襲われる。
2年前、高校生だった長女が
狭い机の上に、大きな鏡を置いて
自分の顔を覗き込んでいた時のことを。
あのとき、私は、勉強の邪魔だからと鏡を取り上げたのだ。。
あれは、彼女が自分を確立するための大切な儀式の時間だったというのに。

だから、今まさに思春期に突入しようとしている
小6の長男が、鏡を覗き込むようになったらば、
何も言わず、思う存分、覗かせてあげたいと思うのである。