著者は、日本は、民主主義ではなく立場主義だと言う。
立場主義とは、家制度の解体過程において、国民が家の構成員からそれぞれに立場があてがわれたということだ。日本に民主主義や個人主義はなく、あるのは立場主義。
立場を守るためなら何をしても何をやっても寛容な国、、
そして、その「立場主義」と切っても切り離せないのが「関所資本主義」であり「東大話法」である。
「立場主義」「関所資主義」「東大話法」
この3つの言葉ほどこの国が抱える諸問題を簡潔に適切に表した言葉はない。
立場を守るための東大話法が、国民を苦しめているにも関わらず
私たちは、しつけという名のものとに、教育という名のもとに
幼いころから立場というものを叩きこまれる。
成長し、立場の欺瞞に気がつきそうになると、周囲の大人に東大話法によってごまかされ、大人になると、自分自身を東大話法でごまかしていく。
日本人の人生はともすれば、欺瞞にみちた言葉と、空虚な立場にからめとられ
自分の地平ではなく、誰かの地平を生きることになる。
これを著者は、「魂の植民地化」という。
立場主義のエリートは、東大話法のエリートである。
そして、この国は、それらのエリートである官僚によって動かされている。
日本人は生まれながらに、立場主義と東大話法を内在化させてしまうのだ。
つまり、日本という国は自分の人生を生きることのできない、人権侵害の国ともいえる。
私たちは、それら人権を守るために、立場主義者の東大話法を見抜き、その欺瞞を暴かなければならない。
その具体的手法が、ドラマ「家政婦のミタ」にあるという話は興味深い。
東大話法を巧妙に操る相手に対し
「承知しました」という言葉で応戦する。
これは、実践する価値があるだろう。
著者は、あらゆる著作において、この国を憂うだけでなく、私たちはどうすればよいのか、どう生きたらよいのかを、常に考えていることがひしひしと伝わる。
生きるための学問を追求する著者の本を読まずして、この国を生きていくことなど、果たしてできるのだろうか。