いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「現代の貧困」岩田正美

 

 まえがきを読んで、いきなり頭をガツンと殴られた。

 

『貧困は人々のある生活状態を「あってはならない」と社会が価値判断することで

「発見」されるものであり、その解決を社会に迫っていくものである。』

 

貧困とは、発見するものという考えに接して、震えがきた。

新聞やテレビで取り上げる貧困問題は、貧困を発見したからではない。

貧困という話題を取り上げているだけなのだ。

なぜなら、貧困問題を取り上げても、貧困問題と密接に結びついている

正規雇用問題や学歴社会の問題をリンクさせないからである。

 

私たちは、貧困と学歴や雇用形態の問題が関連していることを薄々、いや濃厚に感じ取っている。それなのに、貧困問題を解決できないでいるのは、目の前の貧困を感じるだけであって、発見する力がないからだ。なぜ、私たちは、発見できずにいるのか。そこには、貧困問題を取り上げるマスコミの報道姿勢が関与しているのではないのか。

 

彼らは、貧困問題を取り上げる傍ら

定職につかない人たちを「フリーター」と言い換え

ひとり親を「シングルマザー」と言い換え

派遣社員を「ハケン」とカタカナにした。

 

マスコミは、漢字で書くべき日本語を

耳触りの良い、英語やカタカナ表記にした。

おまけに、テレビは、シングルマザーやハケン社員を主人公とした

明るく前向きなドラマや物語に仕立てあげた。

私たちは、それらにすっかりそれに騙されてしまったのではないか。

貧困を発見するどころか、歪曲化して伝えたマスコミの罪はあまりに重い。

 

愚策続きの今の日本のコロナ対策を見ても

私たち日本人は、問題の本質と向き合わず

根本的解決ができないでいる。

これは、貧困問題と全く同じ構造ではないだろうか。

 

見て見ぬふりをすることを特技とした人々からなる社会の形が

まさに、今のこの国ではないのだろうか。