先進国でありながら
いや、もうすでに経済的にも先進国でないかもしれないが
ジェンダーギャップの大きい
いまだ男社会のこの日本という国。
男社会のなかで、弱者は、女であり、子どもである。
バブル崩壊以降、失われた30年をさまよい続ける
この国の男たちは、さらには、男に刃を向けられた女たちはこぞって
その刃を庇護すべき若年者に向けている。
登場人物の真由、リオナ、ミトは
まるで、東京というジャングルを必死に生き延びようとする小動物だ。
彼女たちの前には、彼女たちをワナにかけようとする
大人たちが次々と現れる。
瀕死の重傷を負いながら、それでも彼女たちは
自分たちの生きていくすべを見つけようとする。
桐野夏生の描く世界に入るときは
いつも心の準備がいる。
桐野が描く女性を通して、自分の女性性が傷つく覚悟が必要だ。
本を開くとき、ワタシはいつも自分に問う。
この世界と対峙する覚悟はできたかと。
桐野の描き出した世界の中は
心の中をいやというほどえぐる。
本来なら、目にしたくないものを
目をこじ開けてみなければならない。
そこには、何をも隠すことのないグロテスクな世界が広がっている。
しかしそこには、悪意と善意、絶望と希望、醜さと美しさ
暗闇と光が同時に存在している。
読み終えて、そうか、、とわかった。
桐野夏生の本を読みたいと思うときは
現実世界で映し出される物ごとの薄っぺらさに
辟易している時なのだ。