いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

直接経済

メルカリを始めたのは、つい1年ほど前のこと。

新しいものに対する恐怖心が人一倍強い性格と

どこの誰だか知らない人とのやり取りへの不安で

ずっと始めることができなかった。

 

それでも始める気になったのは、子どもが成長して

使えるのに使えないモノがたまってきたから。

捨てるに忍びなく、かといって譲る相手もいないモノ。

 

どこの誰だかわからない人とのやり取りに対する不安は匿名配送で解消でき

新しいものに対する恐怖心は、利用者が多いので、簡単な疑問も

ネットで検索すれば、情報を得られることで乗り越えられそうだと分かった。

 

始めてみると、これがとても楽しい。

不要になったものがお金にかわる楽しさはもちろんだが

それ以上に、出品し、モノが売れると

まるで自分のお店を開いたような感覚になって

大げさだけど、買ってくれた人への愛みたいものが

自分の中に湧き上がってくるのだ。

そうすると、自分も喜べる、相手も喜べる、

正直なやり取りをしたいと自然に思えてくるのだ。

 

自分と相手とが直接取引することで

モノとお金の流れが単純で

ゆえに、そう時を待たずに取引が完結し

すぐさま自分の手元にお金が入ってくる。

こんなシンプルな経済活動があることを

すっかり忘れていたような気がする。

 

経済活動が合理化や効率化の名のもとに規模が拡大していくと

人間って、労働とお金の関係性を見失うんじゃないかと思う。

目の前の誰かに心を込めてモノやサービスを売ったとしても

相手が支払ったお金は、会社の方に行ってしまう。

労働者は、会社から給料という形で、間接的に労働に対する対価を渡されるけれど

その状態に、飼いならされてしまうと

人間はモノを売った瞬間、サービスを提供した瞬間の喜びや胸の高鳴りみたいなものを

なくしてしまうんじゃないかと思う。

 

労働者は、モノやサービスをお客さんに渡し、代わりにお金をもらう現場にいながら

もらったそのお金は、労働者の前をいつも素通りしていく。

労働者にとって、労働者が直接お金を受け取るお客さんは、労働者に間接的にお金を払ってくれる人になり、労働者に直接お金を払ってくれる人は雇い主である(ややこしい)

そんなお金の流れは分かっていも、人間って自分に直接的に利益をくれる人に目が向いてしまうんじゃないかと思う。

そうすると、だんだんと自分の労働価値が分からなくなってしまう。

誰を見て、どこを見て、何を見て、働いているのか分からなくなってしまう。

 

大企業とか官庁なんかで

改ざんとか隠ぺいという仕事が生まれ、それに対価が支払われるという

とんでも労働が生まれてしまうのも当然なのかもしれない。