いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「橋を渡る」吉田修一

 

物語は、春、夏、秋、冬の4部構成。

2014年、実際に起こった東京都議会での

「自分が早く結婚したらいいじゃないか」「産めないのか」といった

セクハラヤジを軸に

そのニュースに接しながら日常を送る

春の明良、夏の篤子、秋の謙一郎のそれぞれの暮らし、心情、そして事件が綴られる。

そして、最後、冬。

そこは、2014年の春夏秋の70年後の世界となる。

 

春夏秋まで章は、まるで短編小説のようだ。

ただし、そこには終始、都議会の「セクハラヤジ」が

主人公の心に暗い影を落としている。

これが伏線であることは分かるのに、それが何なのかは

つかめないままだった。

そして、冬の章。

ここで、すべてがつながる。

明良、篤子、謙一郎の物語の意味が、そして、このセクハラヤジの意味が。。

 

男女間におこる違和感を、疑念を、問題を

見ないふりをする、考えることをやめる、都合のよいように解釈する

相手の意志を尊重することをやめ、自分の意志を押し通す。

あったコトをなかったコトにする。。

そういう暮らしの先に待つ未来が、70年後の冬なのだとしたら

こんなに怖いことはない。

 

最後、物語のカギを握る登場人物が

春の章に出てくる、明良のおいの孝太郎とのちに妻となる結花。

彼らは、あったコトをなかったコトにしなかった。

 

人間社会にとって、大切なことは、何なのか。

改めて考えさせられた。