いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「たちどまって考える」ヤマザキマリ

 

2020年前半、新型コロナウィルスで世界中が翻弄される中

イタリア在住の著者が

やむなく滞在せざるを得なくなったこの日本で

文字通り、たちどまって考えたことが綴られている。

 

著者は、各国の混迷するコロナ対策を

自分の経験はもとより

歴史的背景や言語、生活習慣、家族観、地政学などを通して考察していく。

そうして、日本人が抱えている根深い問題を掘り起こしていく。

 

コロナ禍で、日本人の「国民性」というものが良くも悪くも露になった。

国内だけでなく、国際的にも。。

 

政治や経済や文化に対する為政者の考えを

仕事や暮らしや家族に対する心性の変化を

何か違う、どこかおかしいと感じながら

戦後、たちどまることなく、今にいたってしまったことを

コロナ禍を機に、この国に住んでいる人の誰もが、

程度の差はあれ、ぼんやりと感じていることだったと思う。

 

著者は、その国民性について

時には、論拠を示し

時には推測しながら

すっきりと論理的に言語化してくれている。

日本という国を外から見、内から見、そして、俯瞰してみる作業が

繰り返される文章を読みながら

読者は、この国の問題にいくつも気づかされることになる。

 

本著が刊行されて1年半が経っている。

この間もコロナウィルスは変異を繰り返し

パンデミックの終わりは見えない。

今もまた、オミクロン株の猛威による第6波で

社会はすさまじい混乱の中にあるというのに

日本政府の対応は、相も変わらずで

政治家の空虚な言葉だけが日本中で溢れかえる。

2022年の今、2020年刊行のこの本を読んでも

びしびしと心に響いてくるのは

日本社会が、結局、コロナ前と何にも変わっていないからだろう。

 

コロナウィルスの最初のパニックの頃には

多くの人がきっと「たちどまって考える」ことを始めたと思う。

けれど、長引くコロナ禍で

社会全体がだんだんと考えることをあきらめかけているように思える。

政府は日本社会をコロナ禍以前の社会に戻したがり

国民は黙ってそれに従おうとしているように見える。

 

たちどまって考えることは、自分を、社会を、守ること。

いつだって、何度だって、たちどまって考えることが大切。