「家族終了」という奇抜なタイトルに、思わずこの本を手に取った。
家族が終了する、、ということを
両親が離婚して、家族がバラバラになるとか
家族の一員が、蒸発するとか音信不通になるとか
血のつながりがある人たちが、つきあいをなくしてしまうことを想像した。
家族が終わるなんて、よほどの事情があってのことと思ったのは
自分に、まだ「生育家族」がいて、そして「創設家族」があるからだろう。
事実婚の同居者はいるものの独身で子どもはいない。
父母が他界し、唯一の肉親の兄も亡くなってしまった。
著者はそんな自分の状況を「家族終了」という言葉で表現している。。
なるほど、今の日本社会では、家族など案外簡単に終了してしまうものなのだと
ものすごく納得してしまった。
確固たる「家」制度で、人口増加をたどってきたこの国も
戦後、いまだ中途半端だけれど、民主主義を取り入れ
これまた中途半端な個人主義を取り入れたことで
「家」制度の外でも生きることが可能になり
望むと望まざるを関わらず、未婚の人が増え、ひとり暮らしをし
子どもを産まない人が増えた。
つまり、著者のように家族が終了する人は、この先もどんどん増えていくのだろう。
本著は、著者の生育家族や友人などとの交流のエピソードを交えながら
夫婦、親子、舅姑と嫁、祖父母と孫の関係性を語りながら
この国の「家族」という形の変遷を考察していて、とても面白い。
法律上、血縁上の「家族」の衰退と並行して
この国でも新たな「家族」の形を個人的に模索する人たちも増えてきた。
例えば、事実婚
例えば、養子
例えば、同性同士の結婚など
この国でも新しい「家族」の形が生まれている。
上から押し付けられた「家族」でなく
下から生まれ出た「家族」の出現とそれを受け入れる社会になることが
家族の終了であり家族の始まりである。
著者独特の自虐的で斜めから見た世界から
この国の新しい「家族」の未来を垣間見た。