いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

正解はどこにある

先日、通帳を記帳しようと立ち寄った郵便局のATM機のそばに

レターパックライトがポンと置かれていた。

 

たぶん、誰かがこれを買った後に

ATMで操作して、ここに置き忘れてしまったのだろう。。

 

ワタシは、こういうとき、無駄に悩む。

 

持ち主が忘れものに気づいて、郵便局に戻ったとき

まずは、置き忘れたATM機に向かうにちがいない。

このままここに置いておくべきか。

 

だけど、もし、このまま放置してしまったら

このレターパックに気づいた人が

ラッキーと思って、持ち帰るかもしれない。

郵便局の人に「忘れ物がありました」と預けたほうが良いのか。

 

いやいや、もし、これを郵便局の人に預けた場合

戻ってきた持ち主が、ATM機のそばにレターパックがないと確認し

あーあー、もう仕方がないなと

郵便局の人に尋ねることなく、あっさりあきらめて帰ってしまったら

どうしよう。。

 

で、結局、そのレターパックは郵便局の人に預けることにした。

 

世の中に、人生に、正解なんてない。

世界に正解はないというのが、正解というややこしさ。

 

それなのに、気付けば、ひとつの正解を探し求める自分がいる。

正しい解があるとの思い込み。。

なぜ、こんな思考が出来上がったのかと考えると

これはもう、一つの問いに一つの解しか許さない

本の学校教育の賜物に違いない。

 

はるか昔、学校という場所で

一つの問いと一つの解を言われるがまま、さんざん詰め込んだ日々。

 

あの頃を思い返して、今、思う。

 

一つの問いに一つの解なら、ひとりでも勉強できる。

一つの問いに複数の解法があることを学べる場所が

学校の本来の役割なんじゃないのかなあ。。