いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「星を掬う」町田そのこ

 

幼いころ、母と生き別れた千鶴。

うまくいかない自分の人生の何もかもを

自分を捨てた母親のせいだと思い込み

生きる気力を失った日々を送っていた。

 

そんな千鶴が、ある日、ラジオ番組に

母親との思い出をつづった投稿をしたことで

行方の知れなかった母と再会し、千鶴の人生が動き始める。。

 

この物語が、千鶴の再生物語、、などど簡単に言いたくない。

これは、世代を超えた母と子の普遍的な物語である。

 

子どもをもち、自分が母親になったとき

自分の中に、自分を育てた母がいることに気がつく。

人は、自分が経験したことしかできないとよく言うが

子育てに関しては、特にそうだと思う。

 

子どもを前にして

気づけば、自分の母親と同じ言動をしている自分がいる。

まるで、過去の母親の姿を今の自分がなぞるように、、

母にされて、うれしかったことも

母にされて、いやだったことも

すべてが自分の子育ての血肉となっていることに気がつく。

 

母親は、いったいどういう存在であるべきなのだろう。

巷には、育児書があふれている。

理想の子育て、理想の母親像を知るたびに

自分の子育ての現実に落ち込み

そんな子育てをしてしまうのは

自分を育てた母親のせいにするときがくる。

 

そして、自分を育てた母親もまた、人の手で育てられているという

当たり前のことに気がつくときがくる。

 

命を生み出した女性は

その瞬間から母という存在の葛藤の中で生きるのではないか。

自分の中に過去何世代にもわたる母という存在が

息づいていることを感じながら、目の前の子どもを育てる。

 

理想の母親など、どこにもいない。

 

そのことを受け入れた時

人は、新たな一歩を踏み出せるのかもしれない。