昨夜のニュース番組は、東京の電力逼迫のニュースで持ち切りだった。
今回もそうだが
例えば、東京に雪が降る、東京に台風が来る。。
こういうとき、地方に住むワタシは、うんざりする。
東京だけが、日本だと、思ってやしないか!?と
テレビに向かって毒づきたくなる。
誰かが、知りたい情報を、知らなければならない情報を
誰かに、知らせたい情報を、知らせなければならない情報を
メディアが知らせることはないのだと年々感じるようになっていた。
テレビ離れ、新聞離れは進んでいるし、ワタシもそのひとり。
流される情報が、机の上で作られていることをどんどん感じるようになった。
それは、情報に触れても、自分の心がしんとしているから。
記事は、言葉の羅列であり
映像は、製作者とスポンサーの頭の中。
報道の中に、記者の伝えたいという気持ちがない。
情報の現場感がどこにもない。
この本を読んだとき、久しぶりに、気持ちが熱くなった。
記者の机の上だけで、記者の頭の中だけで記事は作られてはいなかった。
伝えたいことと伝えるべきことがそこにはあった。
そして、そこは、東京ではなく、地方だった。
メディアが大きいことに価値のある時代は終わったのかもしれない。