いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

せとかの不安

甘くて、ジューシーで

柑橘の大トロとよばれる、みかん。

「せとか」。

 

近所のスーパーで初めてせとかを見たのは

たぶん10年くらい前だったと思う。

ふつうのみかんより高かったけれど

買えないほど抵抗のある値段ではなかった。

新しい品種かな?

という好奇心で、買って食べてみた。

 

すると、これが、もう、本当においしかった。

一度食べたら、忘れられない、おいしさ。

 

それから、スーパーでせとかを見かけるたびに

買っていたのだけれど

ある時期から、スーパーの店頭から

せとかがぱったりと姿を消した。。

 

せとかは、いったい、どこへ。。と思いながら

数年が経った今年の春

せとかと再会。

 

うわー、せとかだ!!と思って

手に取ろうとして、ぎょっとした。

値段が、あの頃の3倍近くになっている。。

泣く泣く、手を引っ込めた。

 

せとかが、高級路線を歩いているというのは

小耳にはさんだことがあった。

本当に、お金持ちの果物になってしまったのだなあと

今回、思った。

 

長く続くデフレが

モノの価格を抑制し続けた。

それは、農産物も同じだ。

スーパーで安く売られている野菜や果物を見ると

生産者のもうけはあるのだろうかと、思わず心配になるほどの値段。

 

流通者が、価格の安さを売りにし

消費者が、価格の安さを購買基準とし

生産者の生活やこの国の農業の持続性を顧みない購買行動が

社会システムの中に埋め込まれた。

 

その結果、生産者が、農産物に

付加価値をつけ、ブランド力を高め、高価格にして

農業を守ろうとしている。

それは、漁業も同じ。

 

こうして、10年前、口にできたせとかを

今、ワタシは、食べられなくなってしまったのではないかと思った。

そして、これから先

そんな食べ物が、どんどん増えていくような気がする。

せとかの不安が、ほかの食べ物の不安へと結びつく。

どうしたらいいんだろう。