いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

死ぬまで生きる

先日、おばの葬儀があった。

 

誰かの死に接するとき

特に、それが近しい人ほど

日々生きていく中で

知らず知らずに歪んでしまった

自分の心に気づかされる。

 

お通夜やお葬式は

故人とのお別れの場所であるとともに

歪んだ自分の心のリセットボタンを押してもらえる

そんな場所だとも思う。

 

お葬式の席に座って

お坊さんのお経を聞いていると

この世とあの世の境目にいるような気持ちになる。

 

この世に生をうけ、生きて、

縁ある人たちを見送り、そして、最後は、自分が見送られる。

人間の営みは、これがすべてで

誰もが、死ぬまで生きるだけなのだと思えてくる。

 

地位とか名誉とか肩書とか

学歴とか経済力とか

自己実現だとか評価だとか

そういうものは

生きていく中のおまけみたいなもの。

 

それなのに、死に接することなく

生にだけ向き合う日常にどっぷり浸かっていると

おそろしいかな

生きることのおまけのほうが重要になってきて

それが、極まれば

おまけがなければ、生きられないとさえ思う。

こんなに苦しいことはない。

 

お葬式に行って、故人とお別れをし

リセットボタンを押してもらったワタシは、いつもこう思う。

よし、死ぬまで生きていこうっと。