いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

お金を欲しいのは、誰だ?

昨年、祖母が亡くなった。

葬儀の時、お寺との打ち合わせで

戒名の話が出た。

 

院号だと、50万円です!!」

 

ワタシの心の中の第一声は、こうだった。

 

「おっと、値上がりしてるじゃん!!」

 

10年前、父が亡くなった時

院号は30万円だった。。

10年で20万円の値上がり。。

なんなんだ、これ。。

 

仏教は、亡くなったら、戒名をもらう。

一般的に、戒名は、ただではもらえない。

それは、お寺で、注文販売している。

そして、檀家は、申し込みしてお金を払う。

 

さらには、戒名にも高いのと安いのがあって

高い戒名には「院」がつき

男なら居士、女なら大姉がつく。

なんだか、御大層な戒名で

いかにも徳の高い感じがする。

それが、お金で買える。

たとえ、現世で、どんな生き方をしたとしても

何だか立派な人のような名前になれる。

 

あ・・・

これって、贖宥状と一緒だよね。

16世紀にカトリック教会が販売した

現世の罪が許されるって証明書。

お金さえ出せば、罪はなかったことになるっていう、あれだ。

 

神様も仏様も、お金さえ出せば

人間の罪を許してくれるものなんだろうか?

 

ワタシは、いい人なんかじゃない。。

立派な生き方なんて、まったくもってしていない。

どちらかと言えば、恥ずかしいことだらけだ。

 

自分勝手なこともしてきたし

自分が人の心を傷つけたこともあるし

世の中には何の貢献もしていないし

世の中の役に立つような働きもしていない。

 

ワタシが亡くなった時

万一、子どもたちが

こんなワタシに

立派な院号をつけて

さぞかし立派な人のように飾り立てようとしたら

そんなもの、恥ずかしくって、死んでも死にきれない。

 

そうだ、子どもたちへの

ワタシからの遺言は、これにしよう。

 

「母の罪の償いのために、大事なお金を使わないで!

自分の罪は、きっちり自分で償います。」

 

ちっぽけなワタシだって

そのくらいのプライドで生きていきたい。。

と思うのである。

 

まあ、それに、、

神様も仏様もお金を欲しがるはずはない。

 

お金を欲しいのは、この世の人間だけなんだから。