いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

自称キレイ好きが自称を考える

ワタシは、自称キレイ好き。

 

掃除機をかけるのは、毎朝のルーティン。

掃除機をかけ終わったあとは

たいてい、トイレ、玄関の掃除が続く。

 

週に1度は、庭掃除もするし

お風呂やキッチンの排水溝だって、せっせと掃除している。

 

1年365日のうち、たぶん350日くらいは掃除しているので

これだけ掃除すれば、家の中はさぞやピカピカのはず、、と

我ながら思うのだが

年末の大掃除には

毎年、ええーーっ、なんでええーーーと

ひとりこっそり半ベソをかいている。

 

本棚やテレビ台などの裏には、ごっそりとホコリがたまってる。

洗濯機の下の防水パンには、湿気たホコリがべたついてる。

毎日こすってるはずなのに、トイレの便器の黒ずみを発見する。

 

などなど、、、

 

こういうものを目の前にすると、思うわけだ。。

自称キレイ好きは、やっぱり、自称でしかない。

好きは好きだが、結局自己満足の世界に浸っているだけ(トホホ)。

 

そうなのだ、、

ワタシは、正真正銘、誰もが認める「キレイ好き」ではない。

だから、「自称キレイ好き」。

 

さて、テレビや新聞などで、こんな肩書をよく目にする。

専門家、評論家、アナリスト、エコノミスト、コーディネーター、、

ここ最近では、なんかもう、雨後の筍のように

こんな肩書を持つ人が次から次に出てきているのは、気のせいだろうか。。

 

もちろん、その人自身が信頼や尊敬に値する人であったり

発する情報が価値あるものだったりする場合もあるけれど

ワタシの自称キレイ好き同様

単に、専門好き、評論好き、分析好きの自己満足ってことがある。

 

ゆえに、そういった肩書の人の発する情報に触れるときには

ワタシは、心の中のペンで、その人の肩書の前に

「自称」と黒々と書いてから

読んだり、見たりすることにしている。