いのしし日記

ワタシノトリトメナイハナシ

小麦中毒

50歳を過ぎても、スーパーなどで売られているお菓子に目がないワタシだが

なぜか最近、スーパーに行っても、ドラッグストアに行っても、お菓子に心惹かれることが減っていた。

 

ところが先日、いつも行くドラッグストアで、気づけば、ビスケットが置かれた棚にくぎ付けになっていた。ワタシの体が、心が、小麦粉とバターと砂糖をまぜ、こんがりと焼かれたものをとてつもなく求めている。

 

確かに、クッキーやビスケットの類は昔から好きだけれど、理由なんて特段考えたこともなかった。しかし、ドラッグストアで急激にこみ上げるこのビスケット愛に、これはなんなのだ!?と頭を抱えた。

 

と大げさに書いてみたが、理由は簡単に見つかった。

パンだ。

 

前に書いたけれど、食費節約のため、最近よく家でパンを焼いている。

 

kareiko.hateblo.jp

 

お菓子に目が向かなくなったのは、パンを焼き始めたころとどうも一致しているようだ。

そして今回、ビスケットを無性に買いたくなったのは、そのパンの在庫が切れたからだったと思う。

 

つまり、ワタシは、ビスケットが好きというより、小麦中毒なのかもしれない。

パンを作るまでのつなぎにと

大好きなミレービスケットを買って帰った。

 

 

 

灼熱の四重奏

今年は早々と梅雨明けした。

7月に入ったばかりだというのに、夏真っ盛りの暑さである。

 

ひきこもり生活のワタシは、もちろん1日中家の中で過ごしているのだけれど

暑くて、暑くて、この先これが2、3か月続くのかと思うと、本気で恐怖を感じている。

 

えっ、家の中にいるんだからエアコンつければいいでしょと思っているそこのあなた。これがですね、我が家は、灼熱状態となるような条件をそろいもそろえて建ててしまったのでございますよ。

 

まず1つ目、外壁が黒、真っ黒(夫のチョイス)

2つ目、外壁と屋根が金属(夫のチョイス)

3つ目、日の光が入るようにと窓多め(ワタシのチョイス)

4つ目、2階建ての2階リビング(夫婦のチョイス)

 

10数年前、この夫婦二人の共同作業で、夏の我が家の灼熱地獄は作られたのであった。

 

さて、今朝も5時に起きて温度計を見ると、すでに30度超え。

昨日の熱を発散しきれず朝を迎えた我が家は、今日も見事な灼熱の四重奏を奏でている(現在進行中)

リビングのエアコンも負けじと轟音を立てているけど、なかなか勝てそうにない。

あーー、暑い(泣)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半分過ぎて

今日で6月が終わった。

今日で2025年の半分が終わった。

 

早い、早い、早すぎる。

取り立てて、何もしてやしないのに

あっという間に時間だけが過ぎていく。

あーーーー。

 

と、こんなことを

ひと月が終わるたび

季節が変わるたび

一年が過ぎるたび

何度も何度も飽きずに繰り返している。

 

しかし、さすがに人生も半分を過ぎると

無為に過ごしてしまったことを反省しながら

若い頃のようなジタバタ感はかなり薄れてきた。

 

いつの頃からか

たぶん、死ぬまでずっとこんな感じだよねと開き直り始めた

清々しくも図々しい自分がいたりする。

 

そうして、今日も暑いのをいいことに

これじゃ何もできなくて当たり前ですよと胸を張り

存分に自分を甘やかした。

おまけに、今夜は夫は仕事で帰ってこない。

自分を甘やかすに、こんな絶好の日がありましょうか。

 

というわけで、今現在、夕食は作ってない。

冷凍たこ焼きでも食べようかなと思いながらの

2025年後半戦イブを過ごしている。

 

 

 

 

嫌いなものでできている

好きなことは何ですか?

得意なことは何ですか?

 

はっきり言おう。

特にありません。

 

けど、人前では何かと取り繕う。

特に知らない人の前では。

入学試験や就職面接の時は

あらかじめ受けのよさそうな答えを用意しておいた。

 

では、どんな質問なら、用意せずとも答えられただろうと

今更ながらに考える。

うーむ、これはもう逆しかない。

 

好きなものじゃなく嫌いなもの

得意なものじゃなく苦手なものなら

次から次に答えられそうだ。

これは、きっとワタシに限ったことではないはず。

なぜなら、好きなものや得意なことが特になくても

嫌いなものや苦手なものは絶対みんな持っている。

 

その人を形作るものは

好きなものや得意なものではなく

嫌いなものや苦手なものなのかもしれない。

 

人間は 嫌いなもので できている。

 

それなら質問は、長所と短所でよくないか?

という答えが聞こえてきそう。

 

いやいや、それではだめだ。

長所はもちろんのこと

短所もまたあらかじめ用意しがちなものだからである。

短所と言われれば

裏返せば長所となるものを必死に探そうとする。

悲しいかな、これが日本の学校教育の呪縛である。

 

ゆえに、その人の本質を知るには

嫌い、苦手というような

直接的な言葉を使って本音を引き出すことが大事ということになる。

 

さて、当時のワタシは、面接でこういう直接的な質問を受けたことはなかった。

今は、どうなんでしょ。

 

何はともあれ

好きなことや得意なことが特になくても

まっ、いいかという結論に達したのでありました。

 

 

 

 

12個のまるいパン

今年に入り、パンもお米も一気に値上がりして

我が家のエンゲル係数は高まる一方である。

 

お米の消費量を減らすのは難しいけど

パンの消費量なら減らせそう。

 

というのも、我が家でパンを食べるのは、ほぼワタシひとり。

パンが手軽すぎて、一人のお昼はついついパンになりがちだし

そのうえ、ちょっと小腹がすいたときやおやつの時にもいるよねと

結構パンを買っていたから。

 

ワタシの食べるパンがエンゲル係数の増大に大いに寄与していることにハタと気づき

この4月から、なるべくパンを買わずに、家でパンを焼こうと決意した。

 

パンを焼くことをルーティン化するには

パンを焼くことをイベント化してはならない。

そこで、材料の少ない食パンレシピを活用。

ホームベーカリーでこねてもらったパン生地を丸めてオーブンで焼く。

家で作るパンは、その1種類に限定。

 

材料も分量も調理過程も単純なので

料理へのポテンシャルやモチベーションが低く

味にこだわりがないというワタシの持ち味をいかんなく発揮。

そうして、はや2か月が過ぎようとしている。

 

いつも12個のまるいパンを焼く。

つまり、パン生地を12等分するのだが

これがうまいこといかない。

 

生地を半分にして、さらに半分して

その半分にしたのを3等分にするのだが

大きいのがあったり小さいのがあったりとかなりふぞろい。

 

しかし、ここで、スケールを使って等分に、、

などと決して思わないことがルーティン化の肝である。

ゆえに、パンの大きさがまちまちなのはいたし方ないのだ。

(と、自分の不器用さの言い訳もできる。)

 

ちなみに、毎月赤字だった我が家の食費は

4月、5月と黒字化に成功。

ワタシはこれまで、どれだけの袋パンを食べてたんだと

改めて気づかされております。

 

 

 

門番

先日、夜8時ごろ、玄関チャイムがピンポンと鳴った。

インターホンのカメラを見ると

若い男の人がカメラに向かってお辞儀して立っている。

知らない人、明らかに営業っぽい。

こういう場合は、もちろん出ない。

 

朝8時、家の固定電話に見知らぬ番号から電話が入る。

登録していない電話番号はもちろんのこと

050

0120

0800

からかかってきた電話は、速攻ネットで調べて

怪しければ、すぐに着信拒否の登録。

 

これがすっかり定着してしまった。

 

インターホンのカメラで来訪者の姿が確認できるようになり

ナンバーディスプレイで相手方の電話番号が確認できるようになった。

いまや彼らは、我が家になくてはならない大変優秀な門番である。

 

ワタシが子どもの頃、住んでいたところはのんびりとした田舎町だった。

時代的にインターホンのカメラもなく、玄関チャイムもなかった。

そのうえ、家に鍵をかける習慣もなかった。

来訪者は、玄関をがらがらっと開けて

「ごめんくださ~い」と声を掛ける。

家にいるほうも、「は~い」と返事をして玄関に出る。

玄関に出て、初めて来訪者が誰なのかを知った。

 

来訪者のほとんどは知り合いだったけど

それでもたまに、どこからか営業マンがやってくることもあり

うまいこと追い返せる時もあれば

うまいこと言いくるめられて

母が何かしら買わされてしまうこともあった。

それほど悪質なものがなかったのは、今思えば幸いだった。

 

電話だってそうだ。

ナンバーディスプレイどころか、黒電話の時代。

電話がリンリンと鳴れば

無条件に「もしもし」と電話に出た。

出て初めて、相手が誰だか分かった。

 

昔は、出たとこ勝負だったのだなと思う。

玄関に出て、電話に出て、相手を知る。

そこから先は、自分の腕次第って感じ。

 

インターホンとナンバーディスプレイという優秀な門番のおかげで

無駄な勝負を避けられるようになってよかったなと思う一方

ときどき、日常の生活の場面においても

出たとこ勝負の勇気みたいなものが失われ

猜疑心の塊になっている自分にハタと気がついて

子ども時代が無性に懐かしくなっている、そんな今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

 

 

さぼりの哲学

朝起きて、お弁当作って、新聞読んで

洗濯をして、掃除して

買物に行って、昼寝して、

本を読んだり、映画を見たり、ユーチューブ見たり。

 

日々、自分の中に情報は入ってるはずだけど

なんだか、どんどん自分が空っぽになっていってる。

おまけに、何にもしたくなくなってきた。

 

これは春という季節のせいなのか、、

これはいわゆる老化なのか、、とぼーっと考えながら

このひと月ほど過ごしてた。

 

そうこうするうちに

だんだんと、じめじめ、むしむしする日が増えてきて

ぼーっと過ごしていたひと月の間

さんざん後回しにしていたことに目を背けられなくなり

慌てて、あれもせねば、これもせねば、、となっている。

日常プラスアルファの雑事が加わって

何もしたくないなあ~などと悠長に言ってられなくなった。

 

空っぽのワタシ、やる気が出ないワタシは

どうも単なるさぼりの口実だったようである。

 

おお、そうだ、あまりにぼーっとしていて

このブログもすっかりご無沙汰になっていた。

これもまた、慌てて今ポチポチ書いている。