いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

母の言い訳

昔から、娘によくこう言われてきた。

「お母さんは、弟に甘いよね」

 

そうなのだ、甘いのだ、自覚はある。ホントにすまない。

で、どうしてなのか、ちょっと考えてみることにした。

 

娘と息子は、8歳年が離れている。

 

30代目前で産んだ娘。

40代目前で産んだ息子。

 

初めての育児で余裕のない子ども。

二人目の育児でちょっと余裕のある子ども。

 

30代のイケイケドンドンの育児。

40代の少し世の中が見えてきた育児。

 

30代のまだまだ体力のある育児。

40代の更年期が見えてきた育児。

 

わりと何でも一人でできた娘。

わりと何でも一人ではできない息子。

 

いろいろと理由を並べてみたが、うーん、どれも新鮮味に欠ける。

つらつら考えて、新たにひとつ思いついた。

 

ワタシと娘とは30歳近く年が離れているわけだが

ワタシの親年齢は、娘の実年齢と一緒。

つまりは、親としてのワタシと子どもとしての娘は、常に同級生という関係。

 

ところが、それから8年後に生まれた息子にとっては

親としてのワタシと子どもとしての息子に8歳という年齢差が付きまとう。

つまり、親としてのワタシと子どもとしての息子は、常に上級生と下級生という関係。

 

同級生の付き合い方と下級生との付き合い方、、当然違ってくる。

 

ワタシは学生時代、下級生に優しく、かなりいい顔をしたがる人間であった。

思うに、多分にそれが影響しているのではないか。

 

娘よ、こんな落としどころではどうでしょうか?(あきれられそうだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母の買物

一人暮らしの母が、車を手放し、免許返納をして約2年。

以来、月に1,2回ほど、母を車に乗せて買い物に行っている。

 

ワタシの実家は、ちょっと不便なところにある。

高台にあって、車が横づけできず

家までは石段を登っていかなければならない。

 

買物をして帰ってきたら、家の下に車を止めて、石段を登って荷物を運ぶので、これが結構な重労働。

 

母との買物が始まったときは、月に1,2回の買物なので、かなりまとまった量を買うことになるだろうなとは覚悟していた。けれど、実際は想像以上。覚悟のうえにもう一段階上の覚悟が必要だったとは、、ワタシの考えはたいへん甘かった。

 

とにかく、母の買物はひとり暮らしとは思えない量なのだ。

しょうゆ、砂糖、酢、サラダ油などの調味料の類を

あなた、本当にひとり暮らし?と尋ねたくなるくらい大容量のモノを買う。

これが重たいのなんの、、

 

そのうえに、先日など、干し柿をするからと、渋柿を10キロ購入。

安い生姜に目がつけ、3キロ入りを2袋購入。

さらに、ミカンを5キロ、ニンジンを3袋、、

もちろん、このほかに生鮮食料品なども買うから、数件の店をはしごして帰るときには、ワタシの小さな軽自動車の荷台と後部座席は、ほぼ毎回パニック状態である。

 

当初は、物がなくなるのが心配で買いだめしているのかなと思っていた。

けれど、毎回毎回、ひとり暮らしとは思えぬ食材の購入。。

いったい何が起こっているのだ、、

 

そして、当たり前のことに気が付いた。

そうか、これは買いだめではなく、これだけの量を消費しているのだ。

 

昔から、母は一日中台所に立って料理していた。

これは家事の一環だろうとずっと思っていたけれど

彼女にとっての料理は、趣味であり娯楽なのだ。

そうでなければ、ひとり暮らしなのに、これほどの食材が必要な理由が分からない。

 

実家に行けば、たいてい大量の揚げ物、大量の漬物、大量の煮物がある。

作ったものを近所の人にあげて「おいしい」と言われたと何気に自慢話を聞かされる。それが、まわりまわって、魚や野菜や米に化けたりと、どうやらわらしべ長者ゲームが繰り広げられている様子がうかがえる。

 

そうか、母のあの大量の買物は、趣味の材料でもあるのだ。

 

料理は認知症予防になるというし、月に1,2回の重労働で、母が元気で、介護が先延ばしになるのなら、これはなかなか良いかもしれない。

いや、それより、母の大量の買物による荷物運びが、ワタシにとっては筋トレかも。。

 

あれま、これは思わぬWinーWinの関係であった。

 

 

 

 

 

 

大は小を兼ねるのか

大は小を兼ねると信じてきた。

 

小さい物は大きい物をカバーできないが

大きい物は小さい物をカバーできる。

だから、物を買うのに迷ったときは、大きいほうを選んできた。

 

例えば、子どもの服。

例えば、収納ケース。

例えば、冷蔵庫。

そんな考え方がすっかり染みついていたので

家を掃除するための掃除機は一つでいいとずーっと思っていた。

 

ある日のこと、たまたまハンディクリーナーがとても便利という動画を見た。

 

普通の掃除機の先っぽを付け替えればハンディクリーナー代わりになる、大は小を兼ねるはずと、掃除機に関してもずっとそう思ってた。だから、掃除とあらば、掃除機を抱えて、どこへでも参上するのが当たり前だった。

しかし、ハンディクリーナーの動画を見て、ワタシの前頭葉はガタガタと震えました。えーー、ハンディクリーナーって、そんなに便利なの?

 

すぐさま、ネットで検索し、手ごろな値段のものを一つ買ってみた。

 

これが、本当によかった。

今まで重たい掃除機を抱えて(なにしろうちの掃除機は昔ながらのコード式の紙パック)、サッシの溝やら家具と家具の隙間やらを掃除していたのが、ウソのように楽になった。充電式で片手でスイスイと掃除でき、持ち運びも片づけも、らくちんこの上ない。

 

特に、押し入れやクローゼットの中を掃除するときには、以前は、掃除機を抱えて押し入れの中に潜入し、高いところは椅子にのり、棚にのぼりと、老体に鞭打ってきたが、ハンディクリーナーを買って以降は、ハンディクリーナー片手に、楽々押し入れに潜り込み、軽々と椅子にのり、棚にのぼりと、掃除が楽しくなった。

 

大には大の

小には小の役割がある。

 

そうか、大は小を兼ねないこともあるのだ。

人生の真実をハンディクリーナーが教えてくれたのであった。

(気づくの遅すぎ)

 

メンズの叫び

先日、息子の服を整理していたら

彼が中学生の時に着ていたニットが2枚出てきた。

 

紺1枚とグレー1枚

ユニクロのメンズのSサイズ

 

今では、息子は、Lサイズか、XLサイズを着るので

これは、とうに着れなくなっている。

けど、まだまだきれい。

 

ニットを手に、うーんと考えて

試しにちょっと着てみた。

 

そうして、鏡の前に恐る恐る立ってみた。

いかにも子どものおさがりを着てるとバレバレのアラフィフおばさんが映ってたらどうしようと思いながら、、、

 

ところが、どうだ。

自分で言うのもなんだが、めちゃくちゃ似合っているではないか!!

とてもとても、息子のおさがりをアラフィフおばさんが無理矢理着ている感はない(あくまで自己評価)。

 

さて、このニット、サイズもぴったりだったけど

それよりなにより、首元の感じがなんともしっくりきた。

ワタシにとって、女性用のデザインは、襟ぐりが微妙に広かったり、Ⅴネックが微妙に深かったりして、いつもどこか、うーん、これじゃないんだよなあとずっと落ち着かなかった。

 

今回、息子のおさがりを着てみて、ワタシがずっと探し求めていた首元は、これ、これ!!とおおいに感激した次第。

 

そして今日、このメンズニットを着て一日快適に過ごしながら、ふと思った。

 

ワタシが、メンズのニットのデザインが好みのように

女性のニットのデザインが好みのメンズがいたっておかしくない。

ワタシが、スカートじゃなくてパンツを好むように

パンツじゃなくてスカートが好みのメンズがいたっておかしくない。

 

なのに、女性がメンズの服を着るのは普通にありだけど

メンズが女性の服を着るのは、まだまだ奇異な目で見がちかも。

 

そういえば、、、

娘の高校の体育祭で、男の子たちがめちゃくちゃ嬉しそうにスカートをはいてたあの光景。。

先日の息子の学校の文化祭で、胸元が大きくあいた女性服を着て、満足げな顔をしていた男の子たち。。

 

女子の服を嬉々として着ていたあの男の子たちのはしゃぎようが、どこか哀しいメンズの叫びのように思えてきてしまった。

 

 

 

折り返し地点の炊きラーメン

ワタシの好きな炊きラーメンは、なんといっても、ハウスの「うまかっちゃん」。

だけど、付属の調味油は、これまでずっと使ってこなかった。

 

インスタントラーメンは食べますけど、付属の調味油は、ワタクシ使わないのでございますのよ、おっほっほ、、てな感じの、インスタント食べてるのに健康志向を気取ってる自分がどこかにいたんだよね。(あーやだやだ)

 

50歳を過ぎたら、人生の折り返し地点を過ぎた感がすごく強くなった。

本当はもうとっくに折り返し地点を過ぎてるのかもしれないし、もしかして、まだ折り返し地点ではないのかもしれないけど、巷間に流布する人生100年という言葉にすぐに影響されるのだ。

 

で、人生を折り返したと思ったら、ワタシの場合、めちゃくちゃ気が楽になった。

それまでは、病気をしたら、けがをしたら、トラブルにあったらと、見えない先のことを心配ばかりしてた。

ところが、50歳の誕生日を迎えたら、途端に気が大きくなったんだよね、、人生あと残り半分なら、まあ、何とかなるんじゃないかと。

 

そうして気が大きくなったワタシがしたこと。

それは、うまかっちゃんの調味油解禁である。

残りの人生

体にいいとか悪いとか

太るとか太らないとか

そんなことより、とにかくおいしく食べたい、、

 

ということで、お湯を沸騰させた鍋に乾麺を入れ、そこに、卵を一つ投入。3分にセットしたタイマーをちらちら見ながら、ピピッという音で火を消す。付属のスープの粉を入れて溶かしたら、器に移す。そして、最後に調味油をくるりと回しいれた。

 

調味油を垂らしたうまかっちゃんを食べていたのは、母が作ってくれてた頃だ。結婚以来、ワタシは調味油の存在をかたくなに無視し続けてきた。

ごめんよ、調味油。

 

長い時を経て調味油を入れたラーメンとの再会を果たした後は、ネギと紅しょうがを入れ、コショウをたっぷりとかけて食べた。

それは、まさに、人生折り返してよかったなぁぁぁと思える味だった。

 

 

 

お弁当の日々

長女の中学高校の6年間は、ほぼ毎日お弁当を作った。

その期間は、ワタシにとって

一日が、お弁当とともに始まり、お弁当とともに終わる

寝ても覚めても、弁当に追いまくられ

まるで弁当のために生きてるみたいな日々だった。(大げさ)

 

だけど、これが苦だったというわけではない。

どちらかと言えば、楽しかった。

 

料理は上手でもないし、得意でもない。

毎日の献立を考えるのは億劫だし

できたら誰か作って、、と今でも思ってるような人間だ。

なのに、お弁当を作ることは割と好きなのだ。

 

料理下手なのに、どうしてお弁当作りは好きなのか、、と

暇に任せて、つらつらと考えてみる。

つと、お弁当作りは、試験に似ている!!と思い当たった。

 

お弁当作りは、娘が家を出る時間までにお弁当箱の余白を埋める作業。

そして、試験は、テスト時間内にテストの解答用紙の余白を埋める作業。

うん、やっぱり、よく似てる。

 

そうだった、ワタシは、結構、テストというものが好きだったのだ。

友達の前では、「テストいやだよね~」と言いながら

ほんとのところは、テストとなると興奮しがちな

傍から見れば少々薄気味悪い一面を持ち合わせた学生だったのだ。

 

そうだ、ワタシは、お弁当作りが好きで楽しいというより

学生時代の試験のときのあのドキドキワクワク感を楽しむために

お弁当を作るのかもしれない。

 

とはいえ、テストの成績が毎回良かったわけではないのと同様に

当時の娘のお弁当の中身も、当然ムラがあった。

毎日繰り返しの卵焼きやウインナーに始まり

準備万端の日には、朝から揚げ物して満点を狙ってみたり

寝坊したり、おかず不足の時は、冷凍食品を使ったりと鉛筆転がし的な穴埋めに走る。

主食も同じく、白ご飯に梅干しというように、基本問題で確実に点を取るいう日もあれば

おにぎりやオムライスやチャーハンをしてみたりと、もりもりと記述問題が解けるようにすこぶる筆の走る日があったり

かといえば、焼きそばやナポリタンで、とりあえず字数を稼いで余白を埋めなきゃみたいな日もあった。

 

なるほど、今思えば、これは、テスト前に先生から「分からなかったら、なんでもいいから書いとけ」言われてたのを、お弁当作りでも実践していたということだな。ここも試験とそっくりだ。

 

とにもかくにも、娘のお弁当作りがワタシにとって非常にいい思い出となっているのは、時計とにらめっこしながら、無事弁当を作り終え、娘を送り出した瞬間のあの達成感と解放感が、テスト好きのワタシの心をいたくくすぐっていたのだなという結論に今回達したわけである。

 

あっ、この話に、このお弁当を食べた娘の感想が全く出てこなかった。。

娘よ、自分よがりの母で、ホントにすまなかった。

 

 

 

子育ての振り返り(食事編)

うちの子どもは

上は女の子で、下は男の子。

ふたりとも、好き嫌いが少なく、割と大食漢で

食べることに関して、親として困ったことはなかった。

 

しかし、女の子は、中学生、高校生ともなると

食べた分が、身長ではなく、体重として反映されがちになる。

娘も例外ではなかった。

 

昨日までもりもり食べていた大食い女子がある日を境に

あきらかに、それじゃ足りないでしょ!?というような食事量で

「もういい」とか

「あー、お腹いっぱい」とか

「お弁当のご飯が多すぎる」とか

「油物が多い」とか言いだし

ごはんをお替りしなくなり、お弁当を残してきたり

とにかく、家の料理にケチをつけ始めた。

とはいえ、やっぱりそれでは足りないものだから

コンビニでお菓子を買い食いしている。

あの頃は、ずいぶん、やになったものですよ。

そんな彼女もすっかり大人になり、働きながら今じゃ一人で生活している。

 

対して、男の子は、中学生、高校生の時期になると

食べた分が全て身長に持ってかれてるんじゃないの?てなくらいに背が伸びる。

長男も例外ではなかった。

 

中学生になって突然身長が伸び始め

それに比例して、さらに食も太くなり、また身長が伸び、さらに(以下同文)、、という循環に巻き込まれているので、彼は常に腹が減っており、量さえ確保しておけば、食事の不満を口にすることはなかった。

それよりなにより、自分と背が並び、背を越え、見上げる身長になっていく中学生の彼に、毎日せっせとご飯を食べさせるのは、ご飯を作る側にとっては、まるで、努力が(たいした努力でもないけど)すぐさま目に見える結果として表れるようで、ちょっと誇らしかったりもした。

 

そんな彼も高校生になり、今じゃ親元を離れての寮生活。

あと数年で身長の伸びも止まるだろう。

そうして食べた分が、身長から体重へと移行するようになり

気づけば、あのかわいかった息子もおじさんへの道をひた走るのだろうか!?

 

子育ての時間が残りわずかなんだなあ、、うれしいような、さびしいような。。