いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

不器用人間の妄想

昨日は、3か月に一度の歯科検診。

歯の状態をチェックしてもらい、クリーニングをしてもらう。

 

毎日3回以上は歯磨きをしているというのに

歯磨きが下手なのか

歯医者さん曰く、異常一歩手前の歯並びのせいなのか

検診のたびに、歯科衛生士さんに歯石をがりがりと削り落とされる。

 

クリーニングの際には、顔にタオルを掛けられているので、歯科衛生士が何をしているのかを実際に目にすることができない。どんな形状の器具を使い、どんな表情で、どんな手の動きでガリガリやっているのか、、、何年たっても、毎回ワタシは恐怖におののいてしまう。

 

おそらく、これは、不器用人間ならばわかってくれることではないだろうか。

ワタシは泣く子も黙る不器用な人間だ。なので、もし自分が歯科衛生士だったらとドリフターズのコント並みに(たとえが古いw)に想像してしまうのだ。

尖った器具を持った自分の手元が狂い、患者さんの口内が血まみれになるという地獄絵図が頭に浮かんでしまう。

 

さて、今回もそんなワタシの地獄絵図は実現せず、歯石をしっかりとってもらってつるつるの歯を手に入れて無事帰還。

歯科衛生士さんも、ワタシがこんな想像をしながら口を開けてるとは思ってもいないだろう。そして、彼女たちの器用な手先がめちゃくちゃうらやましいと思っていることも。

 

 

 

 

 

南部せんべいの威力

先月、夫が出張で岩手に行くことになったので

お土産は南部せんべいをお願いした。

 

こんがりと焼けた厚手の甘い小麦粉生地に

ピーナツが散りばめられている和風大判クッキー。

甘さといい、味といい、歯ごたえといい

私の大好きなお菓子の一つである。

 

以前にも夫は岩手に行く機会があったので

その際も、南部せんべいを買ってもらってきたが

その時は、お土産用のお上品な数枚入りを2袋ほど。

 

ところが今回は、泊まったホテルの近くのスーパーで

南部せんべいのお徳用こわれせんべいみたいなものを発見したらしく

これは安い!とばかりに飛びついた夫は

8袋も買い込み、スーツケースにぎっしり詰めて持って帰ってきた。

 

ありがとう、、と言いつつ

まあね、大好きなものを買ってきてくれたので

そりゃあ、うれしいけどさ、、

南部せんべいってめちゃくちゃカロリー高いのよ。。

と心の中で呟くワタシ。

 

さて、大量の南部せんべいの賞味期限は10月初旬だったので

賞味期限に負けじと、現在せっせと消費中である。

そして、南部せんべいの消費量と正比例して

ワタシの体内ではせっせと脂肪が蓄積中である。

うー、腹回りが(泣)

 

 

 

お盆のあと

8月も下旬。

お盆が終わってほっとしたと思って

こうしてパソコンに向かって

カタカタとこのブログを書いているところで

ふと思った。

子どものころは、お盆が終わると寂しかったよなあと。

 

子ども時代は、お盆と言えば楽しみでいっぱいだった。

お祭り、花火、映画、海水浴、、

親戚の家に行ってお小遣いをもらったり

そのお金で友達と遊んだり

夏という季節の開放感も手伝い

数日間楽しいことばかりが続くので

お盆が終わったとたんに

祭りのあと気分になって

子どもながら、感傷的になったものである。

 

それが、いまやどうだ。

お盆が終わると、ほっとする自分がいる。

年を重ね、互いの実家に仏様が増え

仏様と共に過ごす義母や実母も年を取り

夫と手分けして

それぞれの実家のお盆の手伝いをすることが増えた。

だから、お盆の一連の行事が終わると

大事な仕事を終えたようでほっとする。

 

お盆が楽しいだけの時代はとうに過ぎてしまったけれど

仏様と過ごすお盆の良さを年々感じるようになってきた。

 

目には見えないけれど

ご先祖様を迎え、一緒に過ごし、また送り出す。

目に見えるものに振り回される日常の自分を俯瞰し

年に一度、このお盆をきっかけに

雑念だらけの心の中を大掃除している気がする。

そうして、心の大掃除が終わったら、ほっとしている。

 

お盆のあと

二つのほっとをゲットしたら

また俗世で頑張ってみようと思えるのである。

 

 

ひとり2台

母と義母は、ともに一人暮らし。

一人暮らしだが、彼女たちはそれぞれ

ひとり2台持ちである。

 

それは、車ではない。

それは、電話でもない。

正解は、冷蔵庫。

 

実母は、大型冷蔵庫1台と冷凍庫1台。

義母は、大型冷蔵庫2台。

祖父母や父が亡くなり、子どもたちはそれぞれ家を出て

そして、今、彼女たちは一人暮らし。

冷蔵庫は、大家族だった時の名残と思いきや

一概にそうとも言えなそうである。

 

なぜなら、一人暮らしだというのに

彼女たちの冷蔵庫は、2台ともいつもモノであふれている。

ひとりでどれだけため込むつもりかと

心の中でついつい突っ込みを入れてしまうのは内緒である。

 

 

 

いじめの構造

ワタシの髪は、黒くて、硬くて、多くて、くせ毛。

なので、髪を切りに行くと

美容師さんに必ず

「髪が多いですね~」

「くせがひどいですね~」

「ボリュームがあって広がって大変ですね~」

と言われることしきり。

 

美容師さんのこれらの発言はもうすっかり慣れっこになっている。

そのうえ、なぜか自分まで奇妙なまでに同調して

「そうなんですよ~」

「まとまらないんですよ~」

「くせがひどいんですよ~」と言ってしまう。

 

先日もまた、美容室に行って同じようなことがあり

ふと気がついた。

なんで、自分まで一緒になって

自分の髪をけなしているんだろう。

 

ワタシの髪は、さらさらやつやつやとは程遠いし

見た目もごわごわしてるし

一見悪いとこばかり目につくけど

いいところだってある。

 

ボリュームがあるので、薄毛の心配はしなくてよさそうだし

年齢の割には、白髪が少ないほうだ。

ごわごわしてる髪は、言い換えればコシのある髪と言えるかもしれない。

(これはちょっと言いすぎか。。)

 

そんなことを考えていたら

これって、いじめの構造に似ているなと思った。

見た目の悪さや、人とはちょっと違ったところを

困ったものだとみなし

周りが、それはおかしい、だめだと言うと

自分は、たいして困ってもいないし

見た目もそう気にならないのに

なんとなく自分もそんな気になって

同じようなことを口にし始める。

 

自分で自分の髪の悪口を言ってる自分。

髪は何にも悪くないのにね。

 

 

 

 

 

朝のオーマイガー!

働いていたころ

朝、これが起こると

オーマイガー!と頭を抱えることが二つあった。

 

一つは、子どものおねしょ。

起きて早々、ばつの悪そうな子どもの顔と、濡れた布団一式を目にした瞬間。

オーマイガー!

 

もう一つは、夫の服のポケットにティッシュを入れたまま洗濯したとき。

さあ干さなきゃと思って、洗濯機を開けた瞬間。

オーマイガー!

 

さて、今は、、

 

子どもは、すっかり大きくなり、おねしょすることもなくなった。

まあ、仮におねしょしたとしても、自分で始末できる年になった。

 

ワタシは、当時の勤めをやめ、長いこと無職生活を続けたあと

今は細々と在宅ワークをしている。

 

そして、夫は、相変わらず、ポケットにティッシュを入れる癖がなおらない。

昨日も、夫は自分で洗濯機を開けては、オーマイガー!となっていた。

ワタシのオーマイガー!は、夫に召し上げられた。

というのも、気づけば洗濯物干しは夫の主な仕事となってしまっているからである。

 

おかげで、ワタシの朝のオーマイガー!はすっかり過去のものとなった。

めでたし、めでたし。

 

 

 

記憶の怪

昨日は、あまりの暑さに買い物に行く気にならず

夕食は、ありあわせの材料で作ることにした。

豚肉と鶏肉とピーマンとじゃがいもとニンジンがあったので

酢豚を作ることにした。

 

材料を切り、揚げたり、炒めたりするまでは順調なのだが

そこから先に進もうとすると、手が止まってしまう。

あーー、調味料の分量が分からない。

 

酢豚はこれまで何度も作っている。

調理過程は簡単だし、野菜もお肉も摂れて栄養バランスがいいので

数少ないワタシの料理のレパートリーの一つだというのに

いまだに調味料の分量が覚えられないのはなぜなのか?

 

酢豚を作るときは、10年ほど前に書いたメモ帳を引っ張り出して

まるで、初めて見るかのごとく、ふむふむと調味料を合わせていく。

酢豚だけではない。

多くの料理の調味料の分量が、いまだワタシの頭に記憶されない。

 

それなのに、なぜか他人の車のナンバーは覚えてしまう。

道で車を見かけて

「あれは、○○さんの車だったね」などと言うと

「よく覚えてるね」と言われるので

変な趣味の人間とでも思われてやしないかとどぎまぎする。

 

覚える気などさらさらないものが、なぜか頭に残る不思議。

どちらの数字が自分にとって役に立つのか、火を見るよりも明らかなのに

うまくいかないものである。