いのしし日記

ワタシノトリトメナイハナシ

ときめかなくても取っておく

モノを捨てることにあまり抵抗がなく、割とポンポンと捨ててしまうタチである。そして、捨ててしまってしばらく経って、ああ捨てなきゃよかったと後悔するタチである。

先日も、新聞の書評に、ワタシが以前処分した本が載っていた。書評を読んだ途端、無性に読みたくなってしまった。深く考えもせず処分すると、処分の記憶はあやふやである。万一残っているかもと一縷の望みをかけて本棚を探してみたが、やはりなかった。それでも読みたくて、結局ネットで本を注文し、さらに後悔の念に駆られる始末。

断捨離、ときめく片付け、ミニマリストなどなど、30代の頃からモノを捨てる魅力にすっかり取りつかれてしまっていたが、最近は、捨てたことを悔いることのほうが増えてきた気がする。

よくよく考えれば、ときめかないモノ=要らないモノでは必ずしもない。今、ときめかなくても、何かをきっかけにときめきが復活することは多々ある。だって、目の前にあるモノは、過去の自分がときめいたモノだからして。

 

チビT復活におびえるアラフィフ

流行は繰り返すと言うけれど、先日、ユニクロのチラシを見て、やはり来たかと思った。体にぴったりフィットした小さなTシャツが掲載されていたからだ。

ここ最近長く、ダボっとしたゆるいデザインのファッションが続いていただけに、そろそろピタッとしたデザインへの揺り戻しが来るのではないかと思っていたが、とうとう。。。

そう、ワタシが20代の頃、小さなTシャツ、チビTが大流行した。若かったワタシも、流行に乗り遅れまいと好んで着たものだが、あれは若いからこそ着れた代物である。いまやすっかり型崩れした体を持つ身には、ピッタリしたデザインが流行した場合、それを追える体型も精神力も持ち合わせていない。

さらに、弱り目に祟り目とはこういうことかとばかりに、Tシャツだけでなく、パンツもぴったりしたものが流行るというのを耳にしてしまった。

今は、老いも若きもルーズな服を着ていて、老いと若きの境目がいい意味でルーズだ。しかし、今後ピッタリ服が席巻してくれば、アラフィフが流行を求めてピッタリ服を着れば若作りだと一目でわかり、ルーズな服を着れば流行に乗れないおばさんだと一目でわかるということになりかねない。アラフィフ受難の時代到来かとちょっとひやひやしている。

真夏の朝のお姫さま

平日は朝5時に起きるので、休みの前の夜は、よし、明日の朝は遅くまで寝るぞと意気込むのだが、哀しいかな、いつもどおり5時には目が覚めてしまう。仕方がないので、布団の中でごろごろとユーチューブを見るはめになる。

先日の休みも、そんな感じでスマホを手にごろごろとしていたら、愛子さまの伊勢神宮参拝のニュース動画にぶち当たってしまった。

なんなんだ、この高貴なお姿は。。猛暑の伊勢神宮を白いロングドレスを着て静々と歩かれる愛子さま。まるでお姫さまではないか!!(もちろんお姫さま)。

真夏の朝にごろごろしながらこの国のお姫さま見てたら、次から次にこのお姫さまを姿を見たくなった。暑さもすっかり忘れて見はまり、気づけば8時になっていた。そして、この国のおばさんはあわてて起きたのであった。

レトロへの道のり

先日立ち寄った雑貨屋さんで、レトロな麦茶ポットを見つけて思わず買ってしまった。

 

昭和風のこんなデザインのものは実家によくあったと思うが、今はほとんど残っていない。壊れたモノもあるだろうけど、新しいデザインのもの、使い勝手の良いものが次々に発売され、古いものは見向きもされず、そのうちお払い箱になってしまったモノも多いはず。

新しいデザインのモノを手に入れて喜んだのも束の間、次の新商品が出ると、今持っているものが途端に古く感じる。さらにデザインが変わっていくと、古いを通り越し、古臭く感じる。古臭いものはダサくなる。モノは何も変わらない。変わるのは人間の頭の中である。

あるモノが古い→古臭い→ダサいの判定を下される。しかし、ある日突然、それをレトロ品として珍重さする人が現れ、世間に広まり、価値が見直された途端、現金なことに、ひとは処分したことをおおいに悔やみがち。

なんせ、わが祖先は廃仏毀釈というとんでもないことをやらかしてるし。捨てては後悔を繰り返すのは人間の嵯峨なのかもなあと思いながら、麦茶ポットを眺めている。

 

天然の巨大熱風乾燥機

にんじん4本98円。安さにつられて買ってしまったら、案の定、古いニンジンだった。

一度に4本も使えないので、千切りにして冷凍でもしておこうかと考えたが、いや待てよ、せっかくならこの暑さを利用させてもらおうじゃないのと思った。

秋になって空気が乾いた頃、ニンジンや大根を切ってかごに入れ、ベランダにつるして、干しニンジンや干し大根を作る。今は秋のように空気は乾燥してないけれど、今年の夏はとんでもない高温である。この天然の巨大熱風乾燥機を利用しない手はないではないか。

ということで、早速切ったニンジンを網かごに入れてベランダにつるした。数時間後、ベランダに出てかごの中をのぞくと、ニンジンの水分は吹き飛び、干しニンジンは完成目前であった。秋口なら完成までに数日はかかるのになんというスピードだろう。熱風乾燥機の威力に圧倒され、逃げるようにベランダを後にした。

小指の爪ほどもない小指の爪

最近、やけに爪が伸びる。これも老化現象の一つなのだろうかと思いながら、今日も爪を切る。

手の爪を切ったあと、足の爪を順番に切っていく。最後、左足の小指の爪までくると、いつものことながらびっくりする。果たして、これは爪なのか。

ワタシの爪は全体的に小さいのだが、とりわけ足の小指の爪は小さい。いや、小さいとか大きいとかサイズの話をできる爪ではない。辛うじて爪らしきものが指に付着しているという感じなのである。

そんな爪でも、やはり伸びる。これから先、この爪はちゃんと小指にしがみついていられるのだろうかと毎回心配しながら、爪の先に慎重にハサミを入れるのである。

 

 

アラフィフ主婦、ジョジョにはまる

ジョジョ好きの息子があまりにジョジョのすごさを力説するので、ネットフリックスで見始めたらすっかりはまってしまった。

「ジョジョの奇妙な冒険」はあまりに有名で、漫画やアニメをよく知らないワタシでもその名前は知っていたが、自分とは全く縁遠いものだと思っていた。なにしろ、少年漫画らしい、あのおどろおどろしいタッチの絵柄が苦手だった。それに、女性の体がやけに強調されたお色気むんむんと感じてしまう絵柄も苦手。激しい戦いのシーンも苦手だし、絵の中に「ドドドドド」とか「ゴゴゴゴゴ」とかやけにカタカナの効果音が出てくるのも理解不能であった。

しかし、見ているうちに、苦手だと思っていたものは気づけば全然意識しなくなっていた。そういうのが気にならなくなるくらい物語が圧倒的に面白いのだ。

今は、一人で過ごす平日のお昼の楽しみは、ごはんを食べながらジョジョを見ることである。今は第3部の途中である。腕がもげたり、足がもげたり、体が吹っ飛んだり、大量に血を流したり、昔ならそういうシーンを見るのも嫌だったのに、今はそれを見ながら平気でごはんを食べている。人間、年をとっても、いつでも、いつからでも変われるものなのだなあと感心しているところである。