いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

東京ラブストーリーの罪

先日、アマゾンミュージックで90年代のJ-POPを聞いていたら

小田和正の「ラブストーリーは突然に」が流れてきた。

うわっ、懐かしい。

 

この曲といえば、もう、これに決まっているではないか。

そう、フジテレビ、月9ドラマ「東京ラブストーリー」である。

 

 

ワタシは、このドラマにドストライクのドはまり世代。

 

なので、曲を聞きながら、ドラマを反芻していて

ふと思ってしまった。

 

はっきり言ってしまえば、このドラマ。

仕事も恋も自立した女を男は受け入れがたく

仕事も恋も自立できない女を男は受け入れるという内容だった。

そんなことに今頃気づいて、ちょっと呆然としてしまった。

なんで、当時あれほど夢中になってしまったんだろう。

 

いや、私だけではない。

このドラマは一種の社会現象ともいえるブームだった。

当時の人々の価値観にずいぶんと影響を与えたはずである。

 

もし、リカとカンチの恋が成就していたら、、と考えてみた。

 

この国の男女問題は今ほどひどくなかったかもしれない。

夫婦別姓なんてすんなり法改正されてたかもしれない。

男女間の賃金格差やジェンダーによる役割分担の固定化も

解消へとどんどん向かったかもしれない。

ジェンダーギャップ指数2024なんて、下から数えるより

上から数える国になってたかもしれない。

 

新しそうで、実は古かった東京ラブストーリー

ドラマがこの国にもたらす罪を思う。

 

いじわるな日本語

昨日、FP2級の試験を受けてきた。

この1年ほど、勉強、趣味、ボケ防止を兼ね

過去問を解きながら、ぼちぼちやってきた。

 

さて、受験を終えての感想をひとこと。。

しばらくは、いじわる日本語を見たくない!!

 

学生時代のテスト、就職試験、資格試験、、

試験問題の日本語というのは

どこまでもどこまでも際限なく

いじわるにできるのだなあと感心してしまう。

 

言葉をこねくり回して、難解ふうに見せ

否定や肯定を過度に織り交ぜ

文の最後まで結論を持ち越し

さんざん受験者を翻弄させたうえで

文中にときどき罠を仕掛けるあくどさ。

 

今回も、FP試験を受けたというより

いじわる日本語試験を受験した感じ。

 

言葉って、人間のコミュニケーション手段のはず。

なのに、試験問題作成において

伝わりにくい日本語の表現、理解しにくい日本語の表現を開発することは

言語から伝達の役割を奪いさる行為かもしれない。

 

分かりにくい日本語で構成されるあらゆる試験問題が

日本人のコミュニケーションを破壊しているのかもしれないなあと

ふと思ってしまった。

 

 

 

自己肯定

進学を機に、4月から寮生活を送る長男。

寮に入ってすぐ、うれしい報告をしてくれた。

「寮のご飯がうまい!!」

 

彼が言う、そのうまさの後ろには

料理下手なワタシの料理があるに違いない。

 

それならば、、息子にうまいと言わせてやる!!と思うほど

軟じゃないのよね、ワタシ。。

 

こういう時は、こんなふうに自分を肯定するのさ。

わお、料理下手も役に立つんだな!!

 

 

 

 

にわか逆ホームシック

この春、高校生になった息子が寮生活を送るようになったので

平日の昼から夜にかけての長い時間を

家で一人で過ごすようになった。

 

ン十年前、初めて一人暮らしをしたころのように

ルンルン気分(表現が古い!?)で

あ~、楽ちん、楽ちん、と

新しい暮らしを満喫していたのだが

 

1週間経ち、2週間経ち

息子が寮生活に慣れてきたのと裏腹に

今、ワタシは、家にいながら、若干ホームシック気味である。

 

寂しさは、たいてい夕食時に押し寄せる。

 

夫は、仕事の都合上、夕食は職場でとるので

ワタシはひとりで夕食をとる。

 

3月までの夕食は、いつも息子と一緒だった。

食事中は、録画していたお笑い番組を見ながら

二人でゲラゲラとお下品に笑って食べるのが定石だった。

 

彼が家を出た4月以降も

お笑い番組は毎回律義に録画されている(予約取り消しすればいいだけの話、、)。

 

なので、ワタシはこれまでと変わらず

お笑い番組を見ながら、ひとり、ご飯を食べている。

ところが、二人で見ていた時は、あんなにゲラゲラ笑っていたというのに

一人で見ると、ちっとも笑えない。

 

かまいたちが、千鳥が、くりいむしちゅーが、マツコが

何を言っても、素通りしていく。。

 

ゲラゲラ笑って食べられる贅沢さに今頃気づくなんて、、、と

しおらしい自分がいる一方で

でも、やっぱり、楽ちんだよなと思う黒い自分がいることを

ワタシはちゃんと知っている。

 

 

 

過大評価と過小評価

社会人2年目に突入した長女。

4月から新しい仕事を任されることになった。

 

義務教育を終え、高校生になった長男。

4月から寮生活を始めることになった。

 

ワタシは、ただでさえ心配症なのだが

こと、子どものこととなると

心配のループから抜け出せなくなる。

 

ご飯はちゃんと食べてるだろうか

掃除はちゃんとしているだろうか

仕事はちゃんとやれてるだろうか

勉強はちゃんとしてるだろうか

職場の人間関係はうまくいってるだろうか

友達とうまくやれているだろうか

 

次から次に浮かび上がる心配事に

気づけば、大丈夫?大丈夫?と尋ねてしまい

子どもたちからは「大丈夫だって!!!」と

語気を強めて言われ、うんざりされる始末。

 

先日、ある人から言われて、はっとした。

「それはさあ、心配してるんじゃなくて、

子どものことを過小評価してるんじゃない?」

 

なっ、なるほど。

 

人は、家で見せる顔と外で見せる顔は違う。

子どもたりとてそうである。

家では、ぐーたらで、気が利かないとしても

玄関を出るときには、自分の身に社会性をまとう。

 

娘や息子のことは赤ちゃんの頃から知っているので(当たり前だ)

幼いころの彼らの記憶から抜け出せず

いまだに、何もできないんじゃないかと

ずっと子ども扱いしている自分に気づかされた。

 

すでに、娘は20数年、息子だって10数年、

この世で生きてるわけだから

今はもう、それだけで御の字かもしれない。

 

親だから心配して当たり前だと思ってたけど

実は、親なのに子どもの成長を信じてなかったのか、ワタシ、、

と、ガツンとやられた気がした。

 

そして、もう一つ。

子どものことをあれこれ心配してしまうのは

子どもたちよりも、自分のほうが、知っている、できると

思い込んでいるからではないか!?

 

親だから

大人だから

年を食っているからという理由で

子どもに対して、大上段に構えていたのかも、、

 

あーー、ワタシってやつは

子どもたちを過小評価しながら

自分のことは過大評価してたのかと

なんだか急に恥ずかしくなってしまった。

 

 

 

まさかの4月

昨年秋から始めた文字起こしの仕事と

年明けからの長男の高校受験で

あれやこれやとバタバタしているうちに

季節は、すっかり春、、

どころか、もう4月の中旬である。。

このブログもすっかり放置プレイとなってしまっていた。

(お久しぶりでございます)

 

さてさて、半年前、時給250円からスタートした文字起こしの仕事も

この春、倍増の時給500円!

(いやいや、全然いばれない(泣))

 

kareiko.hateblo.jp

 

人生で初めての受験の荒波にもまれた長男。

ちょっと背伸びして受験した第一志望の学校に

まさかの合格をしてしまい

まさかの寮生活となってしまった。

今、我が家は、まさかの夫婦二人暮らしである。

 

息子の進学が決まってからというもの

周りから「寂しくなるね」と挨拶がわりのように言われ

ワタシもそんな気になっていたけれど

息子が入寮してしまったあと

まさか自分がこんなことを思うなんて

夢にも思わなかった。

「なんて、らくちんなの!!!」

 

息子の生活の世話がなくなり

あー、らくちん、らくちんと

まるまる1週間

のほほんと気ままに過ごしていたら

今日は、まさかの金曜日。

 

あーー、息子が帰ってくる。

今から、急いで食料の買い出しに行かねば。。

 

 

たい肥作り

見よう見まねで、たい肥作りを始めた。

 

というと、家庭菜園が趣味の人?などと思われそうだが

実際は、まったくもってそうではない。

 

野菜を育てたり、花を育てたりなんて

実のところ、めんどくさい、、と思っている。

植物を愛でる人から白い目で見られそうな

そんな心根の持ち主である。

 

思えば、子どものころから

作ることより片づけることに

どうしても目が行ってしまう。

 

生産活動が生みだす生産物の喜びより

生産活動によって生みだされる廃棄物の心配が

常に上回る。

 

だからか

料理するよりも、皿を洗うほうが、

花を育てるよりも、草をむしるほうが、

部屋をおしゃれに飾るよりも、掃除するほうが

ほっとするのである。

 

なので、時々、人生ちょっと損してるかも??と

思ったりすることがあるけれど

ワタシの頭の中の生産物と廃棄物の関係性は、ずっと固定化されたままだった。

 

そういうわけで、たい肥作りを始めたのも

ひとえにごみを減らしたいという下心。

 

ところが、たい肥作りを始めて

生ごみが自然の力で分解される姿を目の当たりにして

子どものように感動してしまった。

 

なにか、育ててみようかな。。

最近、そう思えるようになったのは

廃棄物(だと思っていたもの)が

ちゃんと生まれかわるのを

この目で実際に確認して

ほっとしたからかもしれない。