こどもの頃、あれほど楽しみにしていたテレビを
ほとんど見なくなったのは、いつの頃からだろうか。
一日テレビをつけなくても平気でいられいるようになって
ずいぶん久しい。
おとなになって、なんとなく物事の道理みたいなものを
感じて、そうすると、メディアのからくりがほんの少し
見えてきた。
テレビへの期待や信頼が少しずつ薄れると同時に
私の視聴時間も比例して減っていったように思う。
言論の自由と言いながら、「言論」や「主張」の背後には
何かが潜んでいるのを感じるのは必至である。
そこにまた、社会通念や、損得問題が絡んで、
自由の中にありながら、知らず知らずのうちに自己規制を敷いてしまう。
退路を確保した「主張」の数々。
そんなことが見え隠れするテレビ番組に、少し辟易してしまったのかなあ。
テレビを見なくなったと言いながら、そんな私は
土曜日22時、TBSのニュースキャスターを楽しみにしている。
私の大好きな安住さんがキャスターである、ということはもちろんである。
け、れ、ど、も。。。
あの番組には、見えない「言論の自由」を感じるのである。
諸々のニュースに対する、安住さんのあの微妙な表情は
ことばのない「言論の自由」である。
今週、今日、たった今、起こっているニュースをまったく無視した
北野武のあのコーナーも、まさに「言論の自由」である。
「言論の不自由」の世の中にあって、あの番組には「自由」がある。
どうでもいいことと、どうでもよくないこと。
正確なことと、不正確なこと。
それをきちんと感じることができる番組を私は楽しみにしているのである。