いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

過大評価と過小評価

社会人2年目に突入した長女。

4月から新しい仕事を任されることになった。

 

義務教育を終え、高校生になった長男。

4月から寮生活を始めることになった。

 

ワタシは、ただでさえ心配症なのだが

こと、子どものこととなると

心配のループから抜け出せなくなる。

 

ご飯はちゃんと食べてるだろうか

掃除はちゃんとしているだろうか

仕事はちゃんとやれてるだろうか

勉強はちゃんとしてるだろうか

職場の人間関係はうまくいってるだろうか

友達とうまくやれているだろうか

 

次から次に浮かび上がる心配事に

気づけば、大丈夫?大丈夫?と尋ねてしまい

子どもたちからは「大丈夫だって!!!」と

語気を強めて言われ、うんざりされる始末。

 

先日、ある人から言われて、はっとした。

「それはさあ、心配してるんじゃなくて、

子どものことを過小評価してるんじゃない?」

 

なっ、なるほど。

 

人は、家で見せる顔と外で見せる顔は違う。

子どもたりとてそうである。

家では、ぐーたらで、気が利かないとしても

玄関を出るときには、自分の身に社会性をまとう。

 

娘や息子のことは赤ちゃんの頃から知っているので(当たり前だ)

幼いころの彼らの記憶から抜け出せず

いまだに、何もできないんじゃないかと

ずっと子ども扱いしている自分に気づかされた。

 

すでに、娘は20数年、息子だって10数年、

この世で生きてるわけだから

今はもう、それだけで御の字かもしれない。

 

親だから心配して当たり前だと思ってたけど

実は、親なのに子どもの成長を信じてなかったのか、ワタシ、、

と、ガツンとやられた気がした。

 

そして、もう一つ。

子どものことをあれこれ心配してしまうのは

子どもたちよりも、自分のほうが、知っている、できると

思い込んでいるからではないか!?

 

親だから

大人だから

年を食っているからという理由で

子どもに対して、大上段に構えていたのかも、、

 

あーー、ワタシってやつは

子どもたちを過小評価しながら

自分のことは過大評価してたのかと

なんだか急に恥ずかしくなってしまった。