いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

正解はどこにある?

平成23年3月1日 午後1時3分。
この世で私にとって、かけがえのない人が、ひとり、旅立った。
父、享年67才。

昨年2月、父は病に倒れた。
一命は取り留めたものの、重い後遺症。
からだは多くの機能を失い、言葉までも失った。

父は、ふたたび、回復するのか、
看護は、介護は、どうなるのか。
先の見えない不安を抱えた。
けれど、きっとどうにかなるさと言い聞かせてきた。
回復のかすかな光に希望を見いだし、小さなつまずきに落ち込む。
そんな1年を、家族みんな、過ごしてきた。

ベッドで眠る父を見つめながら、
人とは何だろう、
生きるとは何だろう、
死ぬとは何だろう
この1年間、その答えをずっと探し続けてきた。

今年2月後半、退院し、ようやく自宅に帰ることになった矢先、父の体調は急変。
苦しい状況の中、それでも、命のあかりを、必死にともし続けた父。
動かなくなっていく体。
感覚と意識が、徐々に徐々に消え去ろうとしていく。
生きようとする何かと、果てようとする何かが
ひとりの体の内で葛藤をしていた。
与えられた身も心も、精魂込めて使い果たした父は、
静かに、ひとり、その生涯に幕を下ろした。

生きるとは、死ぬとは、、、そのことを、必死に考えてきた。
そして、考え得たそのすべてを、この時、この瞬間、放棄した。
いや、放棄せざるを得なかった。
矮小な、愚かな、つたない、甘えた、、、そのすべてが私を恥じ入らせた。

どうにもならない「私」の生と死に、誠実に向き合う。
言葉を失った父が、最後に身をもって私に教えてくれたことである。

生きること、死ぬこと、生き方、死に方、正解はどこにある?