いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

来るもの拒まず

夏休みも、中盤に入った。
今年の夏の暑さは、昨年、一昨年と比べると、格段にしのぎやすい。
し、か、し、まもなく3才になる息子は、口も達者、手も達者。
5年生の娘相手に大暴れの毎日。
暑さはしのげども、息子のうるささにイライラの我が夏休みである。

こんなうるさい子供のいない夏休みを利用して、町中の学校では、オープンキャンパス、1日体験入学、学校説明会などが、手を変え、品を変え、行われているようです。
これって、ずいぶん長いこと私立学校の生徒募集のための行事だと思っていた。
それが、ここ数年、公立学校でさえも、この行事を行っている。

どうして??
公立学校に生徒集めが必要なの???

教育に成果主義が導入され、市場原理が投入されたあの時から
生徒はお客様であり、お客様のパトロンは保護者様である。
成績の良い子が入ってくるのが望ましい。
ついでに、金払いの良いパトロンが望ましい。
そうすれば、最小の投資で最大の結果が得られると信じられている。
すると、その学校の先生は、小さな労力で大きな成果を手に入れる。
そうやって成果を手に入れた先生は、そのご褒美に、
さらに少ない労力で大きな結果を得られる学校へ転勤となる。
そして、また、来年の夏も同じことを繰り返す。
「どうぞ、どうぞ、いらっしゃい。うちは、こーんなすばらしい学校です。
あなたたちのすばらしい高校生活をご支援させていただきますよ。」

公立学校の生徒集めは、教育委員会に旗を振られ
それに踊らされてしまった先生たちの哀しい夏祭りである。
今年の夏も随所で行われている模様。

公立学校の先生は公務員なのだから
生徒が集まろうが集まらなかろうが、クビになることなどないだろうに。
「何が成果だ!!おれは教師だ。なにか文句あるのか!!」
「どんなやつでもかかってこい。俺が鍛え上げてやる!!」
「何が教育委員会だ!!お前らに現場のことがわかってたまるか!!」
などという、荒々しさのない祭りなど、こちらから願い下げである。
面白みもなにもない。つまらないものである。

教育に市場原理や成果主義がなじんでしまったら、こんなにたいへんなことはない。
だって、その結果は、いつ出るか分からないんだもの。
数値化できるわけがない。
先生が消えて、学校が消えてのちに、その教育の成果が分かることだって
往々にしてある。短期的な視点で教育して(正しい意味でこれは教育ではないぞ!!)
短期的に出た結果を、先生の評価に結びつける。
などという馬鹿げたことをどうして始めてしまったのだろう。

公立学校などと言うものは、自治体と同じである。
「来る者、拒まず」
そのうえ、時々は、去ろうとする者を追わねばならない時だってある。
遠い遠い将来のために、大きな大きな投資をしているのである。
その投資が最大の効果をもたらすためには何をすべきか。
短期的な生徒集めによる、分かりやすい数値化でないことは歴然である。

ポスター1枚でこんなことを考え始めた私は、この夏休み、さらにイライラしている。
町中の公立学校の媚びて、いじいじした、そして明らかに滑稽なその態様にイライラしている。
「こら、かかってこい!!」と大暴れする息子の方が
よほどたくましく、そして生き生きしているのである。