心が折れそうになったとき、
この世とのつながりを支えるものは何だろう。
家族の存在、友人の存在、仕事、社会的地位、名声、健康、経済力。
それぞれに何かを支えにしている。
けれど、絶対的なものは、「無償の愛」である。
いかに「無償の愛」を受ける経験をしたか。
これに尽きる。
これだけは、絶対に永遠なのである。
無常のこの世において、変わらないものが本物の支えとなる。
「無償の愛」
無条件に存在を肯定すること。
崇高な行為。そしてこの行為を受けることなくして、人はこの世に存在できないのだ。
心がいっつも折れそうになる私が、この世につながっているのは
やはり「無償の愛」を受けたからに他ならない。
ありのままの存在を受け入れ、肯定してくれた人が私には3人いる。
ひとりは、亡き父。
ほとんど子育てには関わらなかった父だった。
気持ちを伝えることが苦手な父をずいぶん疎んじた。
子供嫌いだとずっと思っていた。
父が亡くなってから、父とのことを思い出す。
父から叱られ、行いを正され、命令をされたという記憶はない。
父は、いつも黙っていた。
私が何をしても何を言っても、黙っていた。
時折、うれしい顔をした。
時折、かなしい顔をした。
私の行いを、反対もせず、されど諸手を上げて賛成もしなかった。
手のかかる娘のために、父の実力以上に働いてきた。
父からの無償の愛にやっと今気がついた。
2人目は、中学2年生の時の担任の先生。
ほめ殺しだった。
私が何をしていも、何を言っても、
「キミは、おりこうさんだからね。」といつも言ってくれた。
「何でもできる、何にでもなれるよ。」と可能性を信じてくれた。
いつもいつもこう言われ続けた。
素直でない私は、その言葉に食傷気味だった。
中学を卒業して、大人になって、友達の結婚式で先生に10数年ぶりに再会した。
そのとき、やっと気がついた。
先生は、無償の愛を私にくれたんだ、と。
3人目は、夫。
つきあい始めてから、結婚して今まで、ずっと、彼から私の存在を否定されたことがない。
これはだめ、あれはダメ、ここはなおしてほしい、こういうところは嫌いだ、そんな類いの言葉を彼の口から聞いたことがない。
意地悪な私に向かって、
「ほんとは優しいもんね。」と言ってくれる。
私が、今もなお、この世とつながっていられるのは、夫の存在である。
この世で無償の愛を一番与えてくれる人が、一番身近なパートナーであることを幸せに思う。
こんなことを考えたのは、昨日が結婚記念日だったから。。。
13年の日々を思い返しました。