いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

偉人

中学生になった娘は、学校の授業で聞きかじったことを
自慢げに話すことがある。

先日の夕食時は、歴史の話だった。
戦国時代の武将が好きだという娘。
彼女は織田信長が好きだという。

「で、ママの好きな偉人は?」

「へ????」

偉人ねえ。
面接の課題でもしているみたいだ。
しばし考える。

好きな偉人、今まで考えたことあったかなあ。
好きなんてものは考えるものでもなさそうだ。
好きとは、言葉にできない心に触れる感覚である。

子どもの頃は、テレビのアイドルに夢中だった。
ジャニーズのアイドルに夢中で
特にシブがき隊の大ファンだった。
高校生、大学生になると
歌手や俳優に憧れた。
お気に入りの歌手や俳優の出演するテレビや映画を見た。
時々夢にまで出てきたりした。

結婚して、年を重ねるごとに
人に対する興味を失ってきたのだろうか。
もともとあまり見なかったテレビもさらに見なくなり
ドラマなどを見る根気もない。
魅かれる人も存在せず。
毎日をたんたんと送っていく
有難い幸せばかりに目を奪われ
ときめく感覚が色あせてきたのだろうか。

ごはんを食べ終わり、娘の食べる姿を見ながら
「はて、私の好きな偉人とは誰だろう??」
考えた。いや母の威厳として
何が何でも、答えねばならぬ。

マザーテレサ
ひねり出した、答えはそれだった。

偉人とは過去の業績に基づいた人物。
確固たる存在。
好きとは、不確かな浮遊する感覚。
形式として表出する前の
相手を通して私を知る感覚ではないだろうか。
好きとはふれあいがなければならないのではないか。
だから、好きな偉人と問われてもすぐには
答えがでてこなかったのだ。。

などと理由付けしてみた。