いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

懐紙

先週の金曜日、息子にとって初めての「お茶の日」だった。
彼が通うこども園では、年長になると月に一度
ボランティアの先生がみえて、お茶を教えてくださる。
幼い頃から文化に触れる機会に恵まれることは
本当にいいことだなあとしみじみ思う。

茶道と無縁だった私は
お茶といえば、とっても恥ずかしい思い出がある。

以前働いていた職場でのこと。
そこの職場には、茶道の先生が月に一度出入りされていた。
その先生と仕事上の接触はほとんどなかったんだけれど
時々、お花やお菓子を事務所に頂くことがあった。

ある日、本格的なお茶会があり
お茶会で出された和菓子のお裾分けを
事務所の職員全員に頂いたことがあった。
そして先生は、お菓子と一緒に「懐紙」を差し出された。
その場にいた中で女性は私ひとり。
私がお菓子を受取り、みんなに配ることに。

「この紙、何?どうすればいいの?」
と素直に口に出せばよかったんだなあ。
その言葉をゴクンと飲み込み、
まあ、お菓子を上にのせればいいんだよねとの
かーるい気持ちで
広げたままの懐紙に和菓子をちょこんと乗せ
配り始めた途端。。。
茶道の先生の素っ頓狂な声が響き渡った。

「まー、若い人は何にも知らないんだから!!」
当時、私は40才目前。
先生は、70才くらいだったから
まあ、先生にとってはまだ若いのかも知れないけれど
周りから見れば、どこをどう見ても
いい年した大人なので、自分の無知さ加減が
とてつもなく恥ずかしかった。
懐紙は右下がりに折り、折り目を手前になるように
置くなど、全く持って知らなかったのだ。
先生に懐紙の使い方を教わる私は
一気に服を脱がされたあまり
すっかり油断してしまっていた裸を
みんなの前でさらしているようだった。
先生が、「若い人」で済ませてくれたのが
せめてもの救いだったが
思い出せば、今でも顔から火が出そうである。

懐紙の使い方を知らなくても生きていけるけど
知ることで、世界が広がり、生き方が変わるような気がする。
だから、息子に「お茶の日」ができたことを
とてもうれしく思うのだ。
母の恥ずかしい体験から。。。つくづく。。。

久しぶりに、この一件を思い出したついでに
「懐紙」を生活に取り入れてみようかなあ。
今日、お店に行ってみよう。