いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

選べるということ

新しい朝ドラが始まった。
「あさが来た」だ。
初回から、おもしろそうな予感。
もうすっかりはまっている。

物語は、「許嫁」から始まった。
昔は、結婚相手を自由に選ぶことができなかったんだよねえ。
そう考えると、結婚相手を選ぶ自由があるって
ホント、すばらしいことである。

よくよく考えてみれば
人間関係って、ほぼ自分で選択することは不可能だ。
親を選ぶことも、子どもを選ぶこともできない。
(スピリチュアル的には選んでるのか知れないけど、、)
親戚だって選べないし、学校の先生だって選べない。
職場の同僚に上司、後輩だって選べないし
ご近所の人たちだって選べない。
ましてや総理大臣だって選べない。

与えられた人間関係のなかで
結婚相手は自分の意志で選ぶことができるのだ!
容姿も性格も、自分好みの人を選ぶ自由を持っているし
理想通りの人は、なかなかいないので
少々妥協するというのも自分の意志で可能なのである。

環境の不自由さの中で
結婚に限らず、人生を共にするパートナーを選ぶというのは
自分で作り出すことのできる人間関係なのだなあと
改めて思うとき
相手に対する不平不満というのは
相手の問題ではなく
自分の問題なのであると
しきりと反省する朝の15分である。