いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

将棋

息子と将棋をしたいと思った。
息子はときどき、夫と将棋をしていたので
我が家には、すでに
将棋の駒はある。将棋盤もある。
しかし、肝心の将棋の知識が、私にはなかった。

誰でもわかるマンガで解説の将棋本を買い求め
駒の動きと、簡単なルールを頭にいれ、いざ勝負!!

そして、私は、負けた。
小2の息子に、私は負けてしまった。
端から見たら、とってもお粗末な将棋だっただろうけれど
私たち二人は、真剣勝負だったのである。

突然将棋をしたいと思ったのにはわけがある。
私は、つねづね「教養」とは何だろうと考える。
あっ、なんか偉そうに言ってるけど
それは、自分に教養のないことの裏返し。
教養のある人になりたーい!!と
ずっと願っているからこそ、どうすれば教養が身につくのか
考えているのだ。

今回もまたそれを考えながら、
私のなかで、それが将棋に結びついた。

将棋をして、ご飯を食べられるわけでもないし(もちろん、プロ棋士は別!)
生活に直接役立つものでもないし
生活の知恵になるものでもない。
将棋というゲームをしながら
人生の時間つぶしをしているだけかもしれない。

だけど、人生のすべての時間が
生活に直結する、生死に関わるものに
なってしまったら、人は絶対生きていけない。
ふと襲われる「むなしさ」に
おしつぶされてしまう。

その「むなしさ」をやり過ごすには
ちょっとだけ、今から目をそらすこと。
ちょっとだけ、生存維持の活動をやめてみること。
飯の種にもならないものに熱中することこそ
必要なのだ。
そうして、やり過ごしたあと
また、生きていくことができる。

そのやり過ごし方のいろいろを、豊富に知っていることが
教養なのかもしれないなあと
今度こそ、息子に負けじと
将棋本とにらめっこしながら
思ったのである。