いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

電子辞書

高校生の娘の机には
ずらっと辞書が並んでいる。
英和辞典、国語辞典、古語辞典、漢和辞典
高校に入学するときに買いそろえたものだ。
決して安くはなかったそれらを
彼女は、机の上に後生大事に飾っている。

学校で、わからない単語が出てきたら
どうしてるのと心配して尋ねてみると
「そういうときは、そのまんま」なのだそうだ。
信じられないことに、娘にとって、辞書はなくてもいいものなのだ。
だから、テストの点数は低空飛行がつづくのだ。
ましてや、その相関関係に本人が気づいていないときた。
つまり、わからないことをわからないまま放っておくという
この大問題に気づかせねばならない。

私は、辞書は紙に限ると信じている。
信じているけれども、
使え、使えと紙の辞書を与えるよりも
まずは、とにもかくにも
わからないことを調べることの方が先決である。
背に腹は代えられず
私は、娘に電子辞書を買った。

電子辞書だの電子書籍だのが普及する
ずーっと前に生まれ育った私は
それらが苦手だ。
決してそれを否定しているわけではなくて
電子機器で文字を読んでも、記憶に残らないのだ。
だから、画面で情報を読んでも、すぐに忘れてしまうので
頭に残したいと思うものは、必ずプリントアウトする。

これは、もしかして、好みの問題ではなく
子供の頃から使ってきた脳の部位の問題なのか!?

電子機器に慣れ親しんで育ってきた娘たち世代にとっては
逆に、紙よりも、電子画面の方が
記憶に残るのかもしれない。

今まで紙の辞書だと見向きもしなかったのに
電子辞書になった途端、嬉々として使っている娘を目にして
ますます、そう思えてきた。
私の脳と、娘の脳は、違うんだ。。
まるで、人類の進化の過程を見る思いである。。

そうか、いいとか悪いとかの問題ではないんだろうなあと
私は自分の古い頭を振りながらも
でも、娘の机の上の微動だにしない辞書を見るたび
やっぱり、ちょっと複雑な気持ちになる。