いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

昭和の前提、平成の前提

高校生の長女は、何事も直前になってから動きだす。
例えば、学校で当日使うものを
その日の朝になってから準備しようとする。
確実に家にストックがあるものならば
百歩譲って、それでもよしとしよう。
だけどスーパーじゃないんだから
何でもあるワケがない。
それなのに、朝の忙しい時間に急に言い出したりする。

娘「ねえ、紙ファイルある?」
私 「ない!」

娘「ねえ、鉛筆のキャップある?」
私「ないっつうの!!」

娘「ねえ、眼帯ある?」
私「あるわけないじゃん!!!」

リクエストが難度化するにつれ
私のイライラ度も増してくる。
そして、私は、いつもいつも、娘に同じことを言っている。
「あのさあ、何でも早めに準備しなきゃだめだよ〜。」

さて、昨日の朝のこと。
週末、英検の2次試験を受ける娘が
ごはんを食べながら、こう切り出してきた。

「受験票に証明写真がいるんだけど。」

はあ〜、受験票、いつもらったのよ。
もっと早く準備できたはずでしょうに。。
なんでこうも、直前に言うわけ??
なんでもっと早く言わないの??

私は、わき上がる怒りをぐっと抑え
「じゃあ、今日、証明写真を撮りに連れて行ってあげるから。。」と言った。

すると、娘は、キョトンとした顔をしてこう言った。
「家でデジカメでとったのでいいんだけど。。」

娘のその言葉をきいた途端、私はこれまでの出来事が
ストンと胸に落ちた。

昭和40年代生まれで、田舎育ちの私にとって
モノを準備するということは一大事であった。
近所には、品揃えが少なく、営業時間の短い
商店や書店がほんの少し。
必要なものは、前もって準備しておかなければ間に合わない。
当日準備しようだなんて、無謀だった。

平成生まれの娘は
コンビニや大型量販店、スーパーにレストランが
まわりに当然のごとくあり
24時間いつでも利用できる便利さの中で育ってきた。
おまけに、ネット環境の進化で
さらなる便利さを享受している。
いや、享受しているという認識さえなく
今の子たちにとって、これは、ごくごく当たり前の社会の姿なのである。

手を伸ばせば、いつだって、どこにだってモノがある。
そういう世界に生きていれば
前もって準備する必要性を感じることは
想像以上に少ないのかもしれない。

道理で、私がこれまで娘にさんざん
「準備は前もって」と口をすっぱくして言っても
娘の心に響かなかったはずである。

そしてまた、もう一つ気づいたこと。
私にとって、証明写真ですぐに思い浮かぶのが
街の写真やさんや証明写真の撮影ボックス。
対して娘にとっての証明写真は、「デジカメ」と「プリンター」。

発想そのものが違う、前提そのものが違うのだ。
今までずっと、早く準備しなさい、遅い、遅いと
娘に小言ばかり言ってきた自分が
この証明写真の一件で、ちょっと笑えてきた。

私って、昭和だわ〜〜〜。。