いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

わがまちの中学生の学力を考える

市内には、進学校といわれる県立高校が一校ある。
市名を冠したその高校は、歴史が古く
卒業生を多く輩出し同窓会も盛んである。
卒業生たちは、その高校を卒業したことを誇りに思い
小さな町の中では、その高校の出身者ということがひとつのステータスになる。
いわゆるそんな高校がある。

その学校が、ここ数年、ずっと定員割れで苦戦している。
昔の卒業生からしたら、耳を疑うような話に違いない。
ステータスだったその学校の存在の意味が
徐々にではあるが確実に失われつつあるのだから。

その原因は、たぶん、隣の市に中高一貫の県立高校付属の中学校ができたからだろう。
進学校としての存在意義を加速させた隣町の中高一貫校は大学進学実績も上がっていく。
成績上位の生徒は、中高一貫校を目指すようになる。

入学する生徒の学力が近隣の進学校と比べ
相対的に下がれば
必然的に大学実績が乏しくなる。
大学進学を希望する生徒にとって
高校選びの基準は、大学の進学実績が大きなウェイトを占めるだけに
志願者が減っていったというのが実状だろう。

だけど、問題はここで終わらない。
ここからが深刻な問題なのだ。

市内でトップの高校が定員割れするということは
たいして勉強しなくても高校に入学できるのだという
暗黙の空気を市内の中学校に生み出してしまう。

定員割れなのだからと安心し
先生も生徒も受験への関心が薄れる。
楽な方に流されるのは、ある意味当然の帰結だろう。

大学進学を希望するのに
相応の学力を有しない生徒が
進学校に入学する。
その悲劇のスパイラルが
更なる定員割れの状況を巻き起こす。

風が吹けば桶屋が儲かる
中高一貫校ができれば、中学生の平均学力が落ちる。
教育行政の罪は大きい。