いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

終わったんだという寂しさ

長女のことは、いつも叱ってばかりだった。
今考えると、そう叱ることもなかったようなことで
叱ってばかりいたように思う。

だけど、その時々では、娘の行動がどうしても気になり
言わずにおれぬ私は、待ったなしで叱ってきた。

そして、当時の私は、叱る自分を省みることよりも
叱られる娘は、どうして叱られることばかりするのかと
いらだってばかりいた。

だから、娘が大学に進学し、家を出ることを
心のどこかで待っていた。
これでもう、叱らなくてすむと
私の心に平穏が戻ると。

我が身を省みず、娘のせいにする
だめ母の典型のようなものだ。

そして、この春、とうとう、その時を迎えた。
無事大学に合格し、彼女は一人暮らしを始めることになった。

彼女の一挙手一投足に心をかき乱されることはないのだと
安堵感に満たされるのだとばかり思っていた。

ところが、私の心は、安堵感が広がるどころか
虚無感でいっぱいになった。

娘のいない生活がどのようなものになるのか
想像の甘さを痛感している。

子育ては18歳で終わるとよく聞いていたけれど
娘を進学先へ送りとどけ、彼女をひとり残し
大丈夫かなあと不安と心配と寂しさで
ひとりこっそり泣きながら
家に帰ってきたその日。
鈍感な母は、やっと気かついた。

あっ、これが子育てだったんだと。