いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

ツイッター

7月、これまでずっと敬遠してきたツイッター
今さらながらはじめてみた。

そこには、びっくりするような世界が広がっていた。

テレビと新聞となんらかの本と
誰かのブログやツイッターをのぞいて
世界でなにが起こっているのか
私は知った気になっていた。

ところが、ツイッターを始めると
まず、その情報量に驚かされた。
そして、多くの人のツイートを目にして
意見や考えを知ると同時に
自分のこれまでの胸につかえていた
モヤモヤ感やらザワザワ感のようなものが
他の人の言葉を借りて
形として表れ始めると
自分の中に潜んでいた社会に対する怒りが
すっくと立ち上がってきた。

すると、今度は、誰かのツイートにツイートしたくなってくるのだ。
共感ならばいいが、時には自分と全く意見が違うツイートに対して
反論したくなってきた。

あっ、やばい。

これが、炎上というやつだろうかと、自制する。

ネットの世界で共感と反論を繰り返す葛藤により
世界を広げながら、自制心を養う。

そうそう、内田樹先生が言っていた。
人間は葛藤があるから成長するのだと。

ツイッターは、自分を成長させてくれる
一つのツールだと思えば、何も怖くなかったのだ。

これまでむやみに敬遠してきたことが
ちょっと悔しくなってきた。

「正しく恐れることが、正しく生きることである」
これが今回、私はツイッターから学んだことである。