いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

非日常が日常に変わるとき

たとえば、、
障害をもった子どもがいる家族。
その子を囲んで日々楽しく暮らしている。

まわりからみると、とても特別な状況にあるように思えることが
その家族にとっては、ごく普通の日常の光景。
きっと、そうなるまでには、いろんな葛藤があったのだろうけれど。

父が倒れて、2ヶ月が過ぎた。
病院のベッドで過ごす父。
この光景は、私にとって、まだ非日常の世界だ。

倒れる前の父を思い出しては、涙がでてくる。
父が今どんな思いでいるのか考えると、いたたまれなくなる。
そんな時が、しばらく続いた。

今あるこの状況を受けとめなくては、とわかっていても
そうしたふりをしても、心のどこかでそれを拒否する自分がいる。

4月になり、なんとなく慌ただしい毎日。
日々の暮らしの雑事に追われる日が続く。

すると、一日のなかで、ふと父のことを忘れることがある。
父のことを思っても、涙が出ることが少なくなった。

父のことをふと忘れるほど、私の日常を大切にすること。
けれど、父のことをいつも胸においておくこと。
相反するようだけれど、実はこれが今あるこの状況を
受けとめる術であるような気がする。

日常の中に非日常を融け込ませていく。

まだしばらく時間がかかるかもしれない。
でも、抗えないこの事実を
拡大するでもなく縮小するでもなく
ありのままの大きさ、形で受けとめたい。