いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

人類滅亡の危機

耳をふさぎたくなるような、目をおおいたくなるような
子どもへの虐待のニュースを知ると、
このまま、人類は滅亡するんじゃないかなあ、、と思う。

こども=人類の未来。
大人がそれを自らの手で葬り去る。
人類は、直接的に物理的に、滅んでゆく。

もうひとつ、人類は滅亡するんじゃないかなあ、、と思うことがある。

財政規律を守るためと言いながら
年金改革や公務員制度改革には目をつぶり
子ども手当をやり玉に挙げる、政治家、マスコミ、有権者
既得権益だけは、しっかり守ろうとする大人たち。
今、現在の自分たちの損得だけはしっかり計算して
もの言わぬ、もの言えぬ未来のこどもたちに
自分たちの損得勘定の「損」を押し付ける。

こども=人類の未来。
大人は、未来へ投資することを躊躇しはじめている。
きれいごとを並べながら、これってまるで刹那主義。
人類は、間接的に頽廃的に、滅んでゆく。

ここに今、存在する、この「いのち」が
自分が所有するものであるという、強欲さ。
そこからくる、人類滅亡の危機。

「いのち」の不可思議さを思いおこせば、
「いのち」そのものに畏怖の念を抱く。
「いのち」が自分ひとりのものなんてありえない。
自分がよければ、今がよければ、
そんな刹那主義で生きることなんてできっこない。

「考える」動物である人類の行きついた先が
巨大化したエゴのかたまりだった、、なんてこと、、
「考える」人類が到達するところじゃない。

恐竜が、巨大化したことによって、滅亡したとする説があるように、
人類が、エゴを巨大化させて滅びることになったとしたら、
これほど悲しく情けないことってない。
そう、人類の一構成員として思う。

私の「エゴ」がわがまま勝手に振る舞おうとするときには、
こう自分に言い聞かせよう。
「おいおい、わたしの「いのち」はわたしひとりのものではないのだよ。
 どうか、こども(=未来)を想うパワーが宿りますように。」