先日、10年来の知人とけんかをした。
私がきっと、相手に対し、なにか期待をしていたんだろうと思う。
ふだん、かなりの内弁慶である私は、不快なことがあっても
相手の前では、なんとかその場を取り繕い、ぶつけようのなかったその思いを
帰宅するや否や、主人にぶつける、ということを繰り返してきた。
しかし、今回の件は、どうしても受け入れることができなかった。
自分を偽ることができなかった。
相手に自分の不快感を伝えずにはいられなかった。
「えいっ、この先のことなんか知ったこっちゃないわい!!」
という感じである。
それから2日間、私はほとんど眠ることができなかった。
どんなにイヤなことがあっても、それによって眠れないということは
これまで経験したことがなかった。
不眠という言葉を知らない私が、怒りで眠ることができない。
ふしぎに思った。
それほど、このことは、私の根幹に関わることだったのだなあと思う。
主人によれば、このことを話す私は「鬼」のようだったそうである。
イヤなことがあったら、早く忘れたらいいよ、、とか、
気にしない方がいいよ、、とか
親切に言ってくれる人もいるが、
私にとって、そんなことをしても何にも意味がないことが
やっとわかってきた。
私は、そのイヤなことをずっと考え続ける。
なぜイヤだったのか、何がイヤだったのか、イヤだったことに対して
自分の邪心はなかったか、とか、、
考えて、考えて、考えているとき、
ふと、池田晶子の本を読みたくなった。
そして、私は、積極的な意味で
「あっ、もういいや。」と落ち着いた。
私を「鬼」から「人間」に戻してくれたのは、
私の存在も、私のこんなつまらない出来事も
もちろん知る由もない彼女の言葉であった。