いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

溺れているのは、誰?

学級だより
学年だより
校長先生の学校だより
副校長先生の学校だより
PTAだより
教育委員会のたより
教育委員会のたより

さて、この中に、有用な確かな情報は
どれだけあるでしょう。。か??

情報発信が、さも当然のようになったのは、いつの頃からだろう。

声高に、大手をふって情報発信するものの代表は、
コマーシャルと、政治家だ。
あれほど、信頼性の低いものはない。
それが誰のための情報であるか、と考えてみれば
その不確かさは、確実なものである。

確かな情報は、声高に叫ばれるものではなく、根づいているものだ。

情報を発信しようと、意気込み、もがき、焦れば
そこには、無用な情報が入りこみ、歪曲され、有害化する可能性を否定できない。
不毛な情報発信を繰り返すことに、何の意味があるだろう。

情報の海で、溺れているのは、受信する側でなく、発信する側なのかもしれない。
そこで溺れているのは、いったい誰??

その情報発信は、いったい誰のためのものですか??