数年前、ふとした時に聴いた音楽が、強く心に残った。
なんなんだ、この曲は。
おおげさではなく、ほんとうに雷にうたれたかのような衝撃だった。
その後、その曲は、モーツアルトのピアノ協奏曲20番だということを知った。
それを知ったとき、私は、2つのことが頭に浮かび、しばし呆然とした。
心に響くものには、それを讃辞など必要ないのだ。
それそのものが、それだけですばらしい。
それに接すれば、すべてがわかってしまう。
すばらしいものは、時を経ても、変わらないということ。
もうひとつは、こんなすばらしい音楽を、私はともすれば、知ることなく
一生を終えたかもしれない、ということ。
私の心に響くもの、すばらしいと思うもの。
そのことに対して、それが果たして世間一般的なものか、などと
考えるようになったのは、いつの頃からだろう。
人気のある音楽を聴き、ベストセラーを読む。
それが私の心に響いたふりをしてきたのではないだろうか。
世間一般の中に自分を漂わせて、安心していたのではないだろうか。
本当に心に響くものを探し求めず、知らず知らずのうちに、
世間での「売れている」「評判がよい」ということを
私の価値判断の基準にしてしまっていたのかもしれない。
だから、ピアノ協奏曲20番を聴いたとき、私の中に戦慄が走ったのだと思う。
「私は、今まで、どんなに曇った目で世界を観ていたのか」と。
心に響くもの、言葉で表す前に、感じるものである。
その出会いは、本当に、心が震えるような感動である。
その感覚に遭遇できるよう、透き通った心を持っていなければならないなあ
と、いつも思う。反省をこめて。
肩書きでもない、評判でもない、その人自身、そのものが私の心に響いた。
今日は、私の大切な人の誕生日である。
おめでとう。