いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

帰省

今年もまた、この季節がやってきた。
「お盆」
ニュースでは、連日帰省ラッシュのピーク日をつげている。

お盆は、祝日ではない。
けれど、お盆をお休みにする会社は多い。
ラジオ体操だってお盆休みがある。
そして、暑さピークの中、みな帰省ラッシュに立ち向かって行く。

別に、夏休みをお盆にしなくてもいいんじゃない??
時間と経済的ロスは相当のもの。
でも、どんなに時代が変わっても、この慣習は続いている。
それって、なぜだろう??

「お盆には、ご先祖様が帰ってくる。」
こんなファンタジックなストーリーを考えついたのはいったい誰なんだろう。

目には見えないご先祖様を迎え、ともに過ごし、送り出す。
まるで、おとなのおままごと遊び。
そこには、非効率だと、前近代的だと吐き捨てそうな資本主義の理論が入り込む余地などない。

人は知っているのである。
物質社会に身を置くことで魂が薄汚れてしまうことを。

個々に生活している親戚たちが一同に会し、ご先祖様を偲ぶ。
いのちが連綿と続いていることを感じる。
自分のいのちが自分だけのものでないことを思う。
人は謙虚になる。
俗世の我が身を振り返り、目には見えないものへの畏敬の念を抱く。
生きていること、生かされていることへの感謝を胸に刻む。
存在の不思議を思い、自分のいのちの原点を確かめたくなる。
曇りかけた魂は、輝きをまた取り戻す。
そうしてまた、俗世へと散って行くのである。生きて行くために。

「帰省」とは、よくできた言葉である。

お盆には帰省する。
お墓参りをし、親戚と飲み明かす。
理屈なんてない。
そう遺伝子に組み込まれている民族であることを誇りに思う。
ご多分に漏れず、私も明日実家へ帰る。