いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

才能

先日、夕食を囲みながら、娘がうれしそうに話しだした。
その日の美術の時間、先生に褒められたそうだ。
絵の具からいろんな色を作り出すという授業内容。
娘は、それが楽しく夢中で作業をしていた。

すると、先生が「この子は才能があるかもしれない。」と
まあ、ちょっとオーバーに褒めてくださったそうだ。

娘は小さい頃から、割と上手に絵を描いていた。
マンガを見ながら、それを上手に書き写していたし
小学校の絵のコンクールなどで、賞をもらったこともあった。

実は、息子も絵が好きだ。(ちょっと親ばかみたいですが)
保育園で、月に数回絵画の先生から直接絵を教えていただいているのだが
何とも熱心に描くらしい。
普段はハチャメチャ、やりたい放題の息子なのだが
絵を描く時は、真剣で、他の子がすぐに終わらせ遊び始める中
最後まで黙々と描くのだそうである。

あらまあ、我が子には絵の才能があるかもしれないねえ、、と
半分冗談、半分本気で夫に言ったら、
彼曰く、
「そのことに関してだけは、褒めて育てたからだよ。」

ごはんを食べること、歯を磨くこと、着替えること
ピアノ、そろばん、勉強、その他ありとあらゆることに関して
こうした方がいい、ああした方がいいと
口うるさく言ってきた。
明らかにそれは、私の方に経験があり
立場上優位だから。
ただ年を取っているというだけで、典型的な高圧的態度で接してきた。

しかし、絵を描くことに関しては、すべて肯定。
確かに、否定したことがない。
いいねえ、上手だねえ、きれいだねえ、かっこいいねえ。
ありとあらゆる賛辞で彼らの絵を褒めてきた気がする。

なぜか、絵の上手下手は訓練しても始まらないと思っているから。
つまり、しつけや教育と言われるものとは
最も遠いところにある。
親は影響を与えられず、逆にまたそれは親に影響を与えない
人の手を離れたところに存在するものだと認識しているから。


そして、もうひとつ、私が全く絵心のない人間だから。
絵を描くことが苦手て、嫌いだから。
と同時に絵を描くことが好きな人を心底尊敬するから。
私は常に、彼らの世界に入り込めず
からしかながめることができないから。
だから、絵の世界を楽しく歩く人を否定することなど決してできないし
またしようという気さえ起きなかった。

親の気負いが、才能の芽を摘み
それをあきらめることで、才能の芽が出てくる。
褒めて育てるというのはそういうことなのだろう。

親はちょっと抜けてるくらいがちょうどいい。
自分をあきらめることで、子育てがグンと楽になる。
こどもがすることを、すごいね、すごいねと
心から褒めて育てられるであろうから。