先週末、隣県でちょっと大きな水泳の大会があった。
運良く、娘も出場することができた。
200と400のフリーに出場。
まだまだ実力がなく、大きな大会に出ることは叶わないが
今回はたまたま巡ってきたチャンスだった。
私たち家族も片道2時間半、往復5時間車を走らせ
娘の応援に駆けつけた。
上の選手には手も届かないが、彼女なりのベストが
出せて、大喜びで家路に着いた。
娘を応援している私が水泳をしていたかというと、全くもって違う。
私は、水泳が大嫌いだった。水着に着替えるのにも抵抗があった上
泳ぐことができなかった。水泳の授業は、あわよくば見学できないかと
あらゆる画策をするほど。高校は、プールのない学校を選んだくらいだ。
水泳に興味も関心もなかった。
しかし、結婚した相手は、たまたま水泳をしていた。
そして、たまたま娘も水泳が好きだった。
その二人に連れられ、水泳を見るうちに
その二人の会話にでてくる、距離とタイムとスタイルの関係性を理解したいと思ううちに
自然と少しずつ水泳のおもしろみが分かりだした。
娘が小学校に上がり引っ越した先に、すぐ近くに偶然スイミングスクールがあった。
彼女の自己流の泳ぎも徐々に改善されていった。
本格的に水泳を始めようと思い、夫も私もそうさせてみようと思った。
それが3年前。
それから、毎日毎日数千メートル泳いできた。
少しずつ、少しずつ、自分の体に時間と動きとを刻み込んでいった。
自分の体にイメージ通りの動きと時間を連動させていくことの意味。
内向きな力がもたらす心と体の制御能力。
修行のような手段と目的が一致したとき、その能力はきっと開花するだろう。
頭でっかちの私は、40代の体を持て余し
あっちが痛い、こっちが痛いと大騒ぎしている自分が恥ずかしくなった。
頭より体が賢い。
大会帰りの車中、うとうとしながらそんなことを考えた。