いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

損得感情

リビングにパーテーションが欲しくなった。
アクセントとして、私の背の高さくらいのを
部屋に置いたら、ちょっと雰囲気が変わって
いいかもなあと思ったからだ。

ここ1週間ほどネットで探した。
なかなかいい物が見つからなかった。
二日前、ようやく気に入った物が見つかった。
「うわあー、かわいい!!」
一目惚れだった。
1万円前後で予算を考えていたのだが
それは23000円。
予算オーバーだ。

どうしようか。。。一晩考えた。
でもとってもかわいかった。
目に焼き付いて離れない。
それ以上に、私の心を揺さぶってならなかった。
夫に相談すると、迷ってしまいそうだ。
よし、ここはひとつ私の感性を優先しよう。
早速、翌日注文。
夫には事後報告だった。

「素敵!!」と思う物を欲しいとき
それが予算オーバーだったらどうするか?
今回は、買うことに決めたけれど
何を基準に決めているのだろう?
考えてみると、私は、日常のあらゆる場面で
決めるという行為をする多くのとき
損得勘定で決めていることに
改めて気づかされた。

これを買うのは、得だろうか、損だろうか。
この行為は?
この本は?
この学校は?
この人は?
そうやって損得勘定で判断したものは
本当に自分が欲した物であっただろうか?
本当にしたかったことだろうか?
本当に読みたかった本だろうか?
本当に学びたかったことだろうか?
本当につきあいたい人だろうか?

経済的に、合理的に、効率的に、理性的に
考えて判断していると思っていることは
ただの損得勘定なのだ、きっと。
エゴや常識、社会通念や経済合理性に振り回されて
決めたことは、損得を勘定したのではなく
損得の感情に自己を委ねてしまうことなのだ。

予算オーバーの買物に
損をしてしまうかもしれないという
今回の私の損得感情は
「でも、かわいいんだよね」という
感性にねじ伏せられた。

往々にして、人生の決断に損得勘定の入らない人ほど
楽しく、幸せにしている気がする。
さあ、私の幸せのパーテーションが届くのが楽しみだなあ。